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それは本当に「建前」ですか?

あやめしさんが書いた、「本音と建前」に関する文章を読んだ。

中学生の部活のときに、理不尽なまでに厳しい先輩がいて、日々過酷なしごきを受けていたのだという。その部活では、3年生が卒業するときに1枚1枚色紙を贈るというしきたりがあったのだが、書く内容に困り、周りの子が何を書いているのだろうかと見てみると「あえて厳しくしてくださってありがとうございます」などと書かれていたらしい。

なるほど、そう書けばいいのかとわかり、「本音と建前」を使い分けることを学んだ、ということのようだ。

確かに、そうしないと不利益を被るような状況ではあったかもしれない。ただ、それは本当に「建前」なのか? という感じはする。「建前」というのは、建築用語で「基礎の上に主要な骨組みを組み上げること」で、「物事の基本」という意味合いのようだ。

建前だけでは回らない、建前からこぼれ落ちたものという意味で「本音」があるわけで、思ってもいないことを言ったのであれば、聞こえは悪いがそれは「嘘」なのでは? と思う。

僕は学生時代は部活にそもそも入っていなかったので、先輩が卒業するときに暖かく見送るといった文化は経験がないのだが、社会人になってからもそういった形で「思ってもいないこと」を言ったり書いたりした経験はほぼない。

仕事上、社内でも社外でも人との接点はそれなりにある方だと思うが、嘘は極限まで使わないようにしている。要は、思ってもいないことを言わない、書かない、ということである。嘘を言うと、その場はうまくおさまるかもしれないが、長期的には相手にも悟られるし、仲間内にも悪い影響があるし、何より自分自身にもダメージがあるからだ。

基本的に僕は上司に何を言われても従うタイプである。それは上司の命令に従うのが自分の仕事だと思っているからであり、上司の命令は会社組織に所属している以上業務命令なので、どういう命令であろうが、それに従うのは自分の義務だと考えている。

しかし、上司がふわふわしていて、上司としての機能を果たしていなかったり、責任を部下に転嫁しようとしていたら、結構噛み付くほうだと思う。前の会社では、それが原因で社長と年に1度ぐらいの割合でかなり大規模な衝突をしていた。面と向かって怒鳴ったこともあるし、社長を別室に押し込んで問い詰めたこともある。しかしそれは年に1度ぐらいの出来事で、基本的には業務として社長の命令には従っていた。

世の中で「建前」と言われているものの多くの部分は実は「嘘」なのでは? と思う。感謝もしていない先輩にありがとうと言うのは、ありがとうと思っていないのであれば、つまり嘘ということになる。

同じ状況におかれたらお前も同じことが言えるか、と言われるかもしれないが、僕なら多分、思ってもいないのであれば「ありがとう」とは書かないな、と思う。というのも、嘘をつかれた方は、いつかそれに気がつくだろう。また、嘘をつくのが常態化すると人間関係が壊れていくし、そもそも自分が疲れてしまう。

嘘をつくことが絶対に悪いとは言わないが、人間関係維持のために嘘をつきはじめるとつき続けなければならないので、そのうち疲れてしまう。その場限り、その場しのぎであれば問題は少ないが、長期的な人間関係を築くうえではつかないほうがいい。

その意味では、もう卒業してしまう先輩に対して嘘をついてしまった、というのは、長期的な人間関係ではないので、問題はないのかもしれないが。しかし、今度は自分自身でも何が本音で何が嘘なのかわからなくなってしまう、という弊害が出てくる。



仕事をしていたら、もちろん建前という名の嘘を言わなければならない状況もあるが、実際そこまで多くはない。基本は「余計なことは言わない」に尽きる。思ってもないことをペラペラ言うようになってしまうと、どうしても言葉が軽くなってしまう。

正直に話す人は敵を作るかもしれないが、そのうち真意が理解されると、強力な人間関係になる。そういう意味では、「建前」「嘘」なんて基本的には必要ないのだ、と思っている。実際、出世している人たちを見ると、建前を言わない人のほうが多い。

日本人は、「相手に意図を汲んでもらう」ことを前提とする文化がある。建前を言うということは、相手に本音を汲んでもらいたい、ということである。それはそれで人間関係の美しさがあるものの、ここぞという場面で言葉の真意を相手の解釈に委ねるのはちょっとズルいような気がするので、自分はあまり好まないのである。

このあたりは文化に依存する部分も多いにあると思うので一概には言えないが、ストレートにものを言い合える関係がいいな、と思うのである。少なくとも、ここに僕が書いているnoteは社会との接点を持っていないので(社会性をもった自分とは切り離しているので)、なるべく思ったことを率直に書くようにしている。

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