見出し画像

仕事にモチベーションは必要ですか?

誰しも、月曜の朝は憂鬱だと思う。僕もそうである。別に仕事が嫌いだというわけではないが、ああ、また忙しい一週間がはじまるのか、と憂鬱な気持ちになる。

ただ、月曜日の「朝」がしんどいのであって、いったん月曜日に入って、仕事モードに入れば、あとはその波に乗るだけである。最初の始動が大変なのだ。なので、無事に軌道に乗ることが一番大事で、「月曜日の夜が一番嬉しい」と妻によく言っているのだが、あまり理解されない。

先日、ゲーム業界で働く人の動画を見ていて、「スタッフのモチベーション」みたいな話が出てきたので、「おや」と思った。確かに、ゲーム制作みたいな仕事の場合は、モチベーションをあげることが成果に直結するのかもしれない。しかし、それはなんとなく、自分の「仕事感覚」とはちょっと違うようなところがある。

仕事をするにあたり、モチベーションは必要なのだろうか。僕が最初に働いた職場は物流業界で、「モチベーション」という概念で働いている人は誰一人いなかったように思う。なんというか、そういう業種ではないというか、みんな「仕事だから」淡々と働いている。

いわゆる品質管理的な仕事で、会社のマニュアル整備や、トラブルに対する始末書みたいなものをつくることがあった。しかしここでも、当然ながら「モチベーション」なんて言葉はカケラも出てこない。「ミスを減らすために、社員のモチベーションを上げる」みたいなことは対策として成立しない。

僕の最初の職場では、仕事を遂行するにあたって、「やる気」「モチベーション」なんてものは不要なのだった。逆に言うと、「やる気」なんてものがなくても、無事に仕事が終えられる仕組みになっている。

世の中の大半の仕事はそういう仕事なのではないか、とも思う。

経理の仕事、営業の仕事、世の中にはいろいろな仕事があるが、たいていの人は仕事そのものにモチベーションを持たず、わりと淡々と遂行しているように見える。それでも社会が回っていくのは驚くばかりである。

「仕事にやりがいなんていらないよ、金がもらえればそれでいいよ」と言っている人はよくいるが、言葉通りに受け取るならば、仕事そのものに対するモチベーションはゼロということになる。そういう人は、本当に金だけで動いているのだろうか。

であれば、「金の力」はすごいな、と思うのである。モチベーションがゼロの人であっても働かせられるのだから。「金」というのは「モノを買うことができる」道具なわけだが、「人を働かせることができる」道具でもある、ということだ。

自分のモチベーションをコントロールするのもなかなか難しいが、他人のモチベーションをコントロールするのはかなり難しい。というか、モチベーションというのは目に見えるものでもなく、日によっても変わるので、結構扱いに困るところではある。

クリエイティブな仕事の場合は、モチベーションが仕事の質に影響を与えることもあるのだろうか。まあ確かに、何か新しいアイデアを必要とする職種の場合、そこには結構なエネルギーが必要なわけで、モチベーションは必要かもしれない。

たいていはアイデアを膨らませているときが一番楽しく、実際にそれを形にしていく作業というのは苦悩の連続である。あの宮崎駿でさえ、実際にものをつくっているときは「面倒くさい、面倒くさい」と言いながらやっている。

実際に形にしていく過程では、考えなければならないことや、手を動かす作業が多くて、とにかくそういうモチベーションみたいなふわふわしたものでは扱いきれない、ということだろうか。どんなに楽しいアイデアであっても、スケジュールやら、目標やらが出てくると、とたんにだるくなってしまう。

しかし、仕事でやる以上は、自分の好きなときにできるというわけでもないし、自分のやりたいことだけをやっていればいい、というわけではないのだから、まあ仕方のないことではあるとは思うのだが。

自分で長編小説を書くような場合、モチベーションのコントロールが一番難しい。たいていの場合、とにかく書きたくなくても、毎日何かしら書く。とにかく書く。これが大事である。とにかく書いているうちに、何か自分のやりたいことに少しずつ近づいていく、という感じである。

クリエイティブであろうとなかろうと、モチベーションがあろうとなかろうと、とにかく取り掛かる。仕事というのはそういうもの、ということですかね。

たとえば「今日はボールを蹴りたくないなあ」と思うサッカー選手や、「今日は人を殴りたくないなあ」というボクサーもいるのでしょうか。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。