1年間、ショッピングモールで生活できるか?

たまたまYouTubeを見ていたら面白い動画を見つけた。

もともとは2ちゃんねるのスレッドらしいのだが、イオンの中に1年間閉じ込められたとして、その中で生き延びることができるか? という思考実験らしい。

こういう妄想は好きなので、なかなか面白いなと思った。このシチュエーションで小説が1本書けそうである。

無人島に島流しされるのではなく、日本のイオンモールの中に閉じ込められるという設定だ。実際のところ、どうなのだろう。一応電気や水は生きている状況らしいので、結論からいうと、「楽勝」なのではないかと思う。

電気と水があれば、イオンスーパーの中にあるレトルト系の食品だけでも1年ぐらいだったら生き延びられそうな気がする。ビタミンはサプリでも摂取できるだろう。

売り場に並んでいる食料だけでどれぐらいもつのだろうか。スーパーの在庫は店頭に並んでいるものだけではなく、バックヤードにも在庫があるので、それらも含めるとかなりの量になるような気がする。

通常、フィクションとして語られるサバイバル系の物語はこれよりはるかに過酷で、無人島に流れ着いてしまったロビンソン・クルーソーや、映画だとトム・ハンクスが主演の「キャスト・アウェイ」などがある。

生きるか死ぬか、というレベルのそれらと比較すると相当ぬるい感じはする。そういう作品の場合、もともとが人が住むような場所ではないので、食料はもちろん、寝床の確保みたいなレベルから死活問題だ。なので、「暇」という状況はおそらくなく、生きるための活動そのものだけで時間が過ぎていく、みたいな形になるだろう。

それと比較すると、イオンモールの中は最低限「安全」なので、むしろ「暇」であることが最大の敵になるのだろうか。しかし、もし備蓄してある食料が尽きてしまった場合、それは死活問題になる。イオンモール内には植物はないし、動物もいない。生態系から隔絶された空間なので、何かを「生産」することはできない。食料が尽きたら、あっという間に餓死してしまうだろう。

食料が「もつ」ことを前提に話を進める。イオンの中に閉じ込められたとしたら、どういう時間の使い方になるのだろうか。自分の場合、本屋があれば基本的に本を読み続けるだろう。イオンであればゲームショップなどもあるだろうから、ゲームなどをしていたら1年ぐらいあっという間に過ぎてしまいそうではある。

パソコンショップで将棋のソフトなどがあれば、自分の場合はそれでもかなり時間を使えそうな感じがする。しかし、なんといっても1年ぐらいのまとまった時間があるのであれば、小説を書くのもいいかなと思う。パソコンがあればそれを使えばいいし、最悪紙とペンがあれば作品を書くことはできる。一年ぐらい何もすることがなければ、かなりの大作が書けそうである。

こうやって考えていくと、人生って一体何なんだろうということも思う。例えばこういう閉鎖空間で1年間過ごすことを考えると、その1年先がゴールみたいに思えるのだが、現実世界では、他人から設定された細かいゴールを日々達成していくことが人生の大半を占めるだろう。ゴールを追いかけているうちに時間が過ぎ、ある日終わる。

終わりを自分で決められるわけでもないし、そもそも終わってしまったら自分の意識もなくなる。人生の本質とは、ゴールを達成することではなく、日常のちょっとした喜びを拾い集めることなのかもしれない。

ちょっとした喜びと言うのは苦しみの裏返しなので、日々ちょっと大変な思いをして苦労し、その裏返しとしてちょっとした喜びを得る。そのサイクルがあるからこそ、充実した生活になるのではないだろうか。

そう考えると、イオンモールの中でひとり過ごすのは、意外としんどいのかも。

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