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老後のことを考えますか?

お金のことを考えるとき、最終的に考えるのが、「老後」についてだ。

僕はいま三十代だが、いま生きていく分には問題ない。いざとなれば、アルバイトでも日雇い労働でもなんでもやって、自分が生きていく分は稼ぐことができる。もちろん、子どもなどがいれば教育費なども気になるとは思うのだけれど、やはり「当座の金」は、そのときの水準にあった金額だと思うので、そこまで心配することはないだろう。
 
しかし、だんだんと年をとって、働くことができなくなったら? そういう「衰え」が怖いのだろう。いまできることができなくなってしまう。

「老後」について考えてしまうのは、つまりそういうことだ。どこかで人生のリタイアがあって、働けない時点がやってくるので、その時点までに、どうするのか考えておこう、というわけだ。

①老後のために、働けるうちに蓄えをしておき、資産を形成しておく

もちろん、これはひとつの考え方で、必要なことだと思う。しかし、それが本当にそれしかないのだろうか。たとえば、極端かもしれないが、以下のような考え方はどうだろう。

②働けるうちは生き、働けなくなったら、その時点で死ぬ

現代社会ではかなり過激な考え方だ。しかし、たとえば江戸時代以前の昔の日本や、野生動物の世界など、社会福祉がない世界というのはそういう仕組みになっているはずだ。

一方で、こういう考え方もある。

③死ぬまで、なんらかの形で、働く。

じつはこれは②の考え方と共存できる。②が「働けなくなったら」という条件つきだが、生涯、なんらかの形で現役を貫けば、成立するからだ。
 
幸いにも、現代社会というのは、田んぼを耕したり、作物を収穫する仕事だけではない(そういう仕事についている人の多くが高齢者というのも皮肉なものだが)。

どういう形であれ、「社会と関わり」、「社会のためになる」ことをすれば、それが現役になるのではないだろうか。
 
実際には、①~③をバランスよく複合したものがいい人生になるのでは、と個人的には思う。

「老後はこれだけの資産が必要になるのだから」と一生懸命、自分の人生を殺して働き、貯金をしたり、あやしい投資信託などに日銭を飲み込まれていくよりは、自分自身の価値を高め、社会に必要とされる存在であるほうがいい。

いくら蓄財をして、老後に十分な資産があったとしても、「若さ」は取り戻すことができない。老後に、例えばアウトドアの趣味をもつのは素敵なことだが、若い頃にやっておけば、もっと体力もあって楽しめるだろう。

なにより、それまで社会との接点をもって一生懸命やっていた人が、「リタイア」して、「隠居」するのって耐えられるのかな、と個人的には思う。

「老後に備えましょう」という言葉のおそらく半分以上は、それで商売をしている人のセールストークなのかな、と思う。上記のように、ある時点から社会との接点をまったく絶つことは考えられないし、それがいい人生とも思わない。
 
いま30歳の人は、80歳になったとき、西暦でいうと2070年になる。

それがいったいどういう世界か、想像できますか? そして、どういう備えをしておけばいいか、説明できますか?

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