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本から影響を受けることはできるが、本に影響を与えることはできない

これまでの人生で、いろんな人に会ってきたな、と思う。家族、友人、仕事仲間、いろいろいるけれど、年齢とともにそういった人たちとの接点というか、接し方は少しずつ変化してきたような。

幼少期というか、小さい頃はかなりシンプルで、友人=遊び相手だった。一人で遊ぶのも味気ないので、友達を誘って、一緒に遊ぶ。自分の中で「一緒に遊んでいて楽しい友人」の順番があって、仲のいい子が都合が悪いと、ちょっと下位の順番の子に当たっていく、という感じだった。

中高生ぐらいになると、友人は「常に一緒にいる存在」だった。一緒に古本屋に行ったり、ゲーセンに行ったり、ラーメンを食べに行ったり。一緒にいて有意義か、とかいうのは二の次で、常に一緒に行動することが大事、みたいな。

大人になるとこれがかなり変わる。人によるのかもしれないけれど、常に一緒に誰かといる、みたいなことがまずなくなる。理由がないと人と会わなくなる。会社の人と社外で会うことは基本的にない。学生時代の友人は、住む場所もそれぞれなので、年に一度会うかどうか。「友人づきあい」というものが極端に減る。

社交的な性格の人は世の中にたくさんいるので、行きつけのバーみたいなところで偶然知り合った人と仲良くなる、地元のフットサルのサークルに参加して知り合う、といったパターンもあるのだろうけれど、自分の場合はそういうことはやらない。

あんまり人と会うことに対して必要性を感じなくなってくる。不遜な考え方だが、人と会う場合、「本を読むより価値のある時間かどうか?」みたいなことを考えてしまう。

これが発展していくと、そもそも誰かと会うとなった段階で、「読書をするのとどっちが有意義か?」みたいなことを考えるようになってしまう。こうなると危険信号である。

大抵の人は本を出す人よりも人生経験は浅い。でも、意外な出会いが、人生にふとした深みをもたらすことがある。

本は自分に影響を与えることができるが、自分は本に影響を与えることはできない。人と会うことで、自分の影響を受けることができるし、相手に影響を与えることもできる。面倒だからといって、一方通行の人間関係だけに閉鎖してしまうのは危険である。

トムハンクス主演の映画「フォレスト・ガンプ」で、有名なセリフがある。

Life is a box of chocolates, Forrest. You never know what you’re gonna get.
訳:
人生はひと箱のチョコレートなの、フォレスト。何が起こるかわかりっこないの。

最近、「人との出会い」はまさに「ボックス・オブ・チョコレート」だな、と思っている。何が起こるか、会ってみるまでわからない。

どういうわけか人と繋がり、一緒の時間を過ごし、相互に影響を与える。しかし、本当に有意義かは会ってみるまでわからない。そういうのを含めて楽しむのが「縁」なのかな、と。

こうしてnoteを書くことで、読んでいる人に影響を与えることができるけれど、読んでいる人からの影響を受けることも大事、ということ。

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