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悩むのは、暇だから

ここ数日間、柄にもなくキャリアについて少し悩んでいた(そこまで深刻ではなく、ぼんやりした感じではあるが)。なんか刺激も少なく、単調な毎日だけど、このままでいいのかな、的な漠然とした不安というやつである。

まあ、定期的に訪れるやつといえばそうかもしれない。だいたい年に一度ぐらいの頻度でこういう気分になる。

しかし、なぜそう思うのかという要因を振り返ってみると、シンプルに「暇だから」かもしれない、と思った。ここ数か月は仕事の繁忙期ということもあり、それなりに忙しかったのだが、ちょっと峠を越えた感じがしている。そのせいで、ちょっと気が緩んでいるところもあるのかもしれない。

「暇」というのは結構な大敵である。人間は暇になるとろくなことを思いつかない、とよく言われる。以前何かの本で読んだのだが、会社で活躍している人で、よく人に嫌がらせをされるのだが、なぜ嫌がらせをしてくるのか調べてみると、その人が暇な人だったから、という話もある。確かに、暇になると、自分以外の人の活躍が妙に気になったりするものだ。

社内報的なもので、たとえば企画などをやっているセクションで、面白い仕事をやり遂げた人のインタビューなどを見ると、シンプルにうらやましくなってしまう。そういう面白い企画をやってみたいな、と思ってしまうのだ。こうやって文章化してみると、欲望がなんだか新卒の若手サラリーマンのようである。
 
そういえば、数か月前はかなり忙しかったので、自分の仕事に精一杯で、あんまり他人のことを気にしている余裕もなかった。忙しかったからか、それなりに充実感もあった。

ピークの時期は、毎週のように出張があったり、朝から晩までミーティングが入ったりしていたのだが、大変ではあるものの、充実していた。もしかしたら、そういう状態のほうが健全といえるのかもしれない。



成功している他人を見て、いいな、うらやましいなと思ってしまうのは、きわめて人間的ではあるものの、なかなか危険である。危なげなく成功しているように見える人だって、隠れた努力をしているわけで、その努力を無視して、活躍したところだけ見ていいな、というのは構造的におかしい。冷静に考えてみればすぐにわかることだ。

先日のワールドカップでアルゼンチンが優勝して、メッシがMVPに選ばれていたけれど、メッシだけ特別に「活躍できる環境」が与えられたわけではない。実力でワールドカップの切符を手にして、活躍できる状態になり、その結果MVPをとったわけで、じつにシンプルな話である。

月並みではあるが、いま自分がやっている仕事のプロフェッショナルになるしかないんだろうな、と思っている。暇な時期こそ、いろいろと次の作戦に考えを巡らせる時期なのだろう。


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