ディストピア飯について

休日に、サブスクで奥さんと映画「2001年宇宙の旅」を見た。

やたらと長い映画だというのは聞いていたものの、それ以上に超難解な映画で、おそらくいままで見た映画の中で一番難解だった。尺が二時間半ぐらいあるのだが、最初映画がはじまってから26分ぐらいナレーション含めてセリフが全くなく、猿が暴れている映像が流れ続けるのも斬新だった。まあそれはさておき。
 
特に印象的だったのが、宇宙船の中で食べられている食事だった。プレートに、ゼリーというか、ペースト状のものが盛り付けられており、それをクルーが映像を見ながら食べている。それを見て、「エヴァQでシンジくんが食べていたやつだ!」と思った。

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比較してみると、確かにかなり似ている。というか、エヴァを作った庵野秀明が、2001年宇宙の旅のオマージュというか、リスペクトでこのようなものをデザインしたのかもしれない。


 
調べてみると、こういった荒廃した世界観で、機能性のみを追求した食事のことを「ディストピア飯」と言うらしい。一部ではコアな愛好家がおり、こういった食事を再現したマニアもいるようだ。

ディストピア飯 (でぃすとぴあめし)とは【ピクシブ百科事典】 

もっとも、「2001年宇宙の旅」は、木星を目指して宇宙を旅する宇宙船が舞台なので、別に「ディストピア」ではないのだが……。まあ、こういうのが共通のイメージとなり、そういったジャンルを形成しているらしい。
 
未来人のファッションがよくわからないのと同様に、未来の食事がどういうものなのかもなかなか想像が難しい。しかし、たぶんあんなペースト状になったりしていないんだろうな、とは思う。

人間の食事で不思議なのは、どのぐらい材料を「混ぜるか」によって、印象が全然違う、ということだ。たとえばサンドイッチを、パン、肉、野菜などをはさんで食べる分にはおいしいが、すべてミキサーで攪拌してゲル状になったものを食べろと言われても、とても食べる気にはなれない。

成分としては同じだし、腹の中に入ってしまえば同じことでも、どの程度「混ざっているか」で、食事としての印象が全然違ってくるのだ。
 
スーパーなどで売られているポテトサラダは、たいていは業務用のポテトサラダで、ジャガイモもあまり原型をとどめておらず、マヨネーズも非常によく混ざっている。まあ、これはこれでおいしいのだけれど、家庭やレストランで出てくるポテトサラダは、ジャガイモもゴツゴツしていて、マヨネーズもあまり絡んでなかったりするが、これはこれでおいしい。

あまりにもマッシュしすぎると、かえって風味を損ねるような気がするのだ。混ぜ具合は「ほどほど」がいい、ということだろうか。


 
もし、未来人の食事が、いまよりももっと風味を楽しむ、というところのフォーカスするのだとすれば、あんなペースト状のものではなく、前述のポテトサラダのように、もっと素材が分離したようなものになるのだろうか。

たとえば工場で加工される製品にハンバーグが多いのは、ミンチにして攪拌してしまえば、成分が均質化して似たような工程でもおいしく仕上がるから、ということらしいのだが、もっと技術が発達すれば、素材そのものを感じられるような仕上がりを自動化でできるのかもしれない。
 
一時期、朝食はカロリーメイトを食べるのが合理的だと思い、箱買いして毎日食べていたのだが、じきに飽きてしまって、一時期はカロリーメイトを見るのも嫌になったことがある。合理的なものというのは、「人間的なもの」と対極にあるので、やがて飽きがやってくるのなのかもしれない。

まあ、本当に「ディストピア」的な社会が到来したとしたら、そんな「風味」や「人間的なもの」などと言っていられないのかもしれませんが。


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