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毎日更新は難しいですか?

インターネットを使って、個人で誰でも発信ができる時代になった。

10年ちょっとぐらい前にいわゆる「ブログブーム」があり、本をわざわざ出版しなくても、個人のブログで意見発信ができるぞ、という時代になった。その後、日本ではミクシィが流行り、これがいまのSNSの走りになったのかな、と思う。

2010年代になってからTwitterが出てきて、Instagramや、その他のSNSがぼこぼこと登場してきて今に至る。時が下るにしたがって、よりお手軽になり、個人の発信のハードルが下がってきているような感じがする。
 
ブログやnoteは個人で発信できるようになったかなり初期のツールだと思う。少なくとも、ブログ以前には個人が不特定多数に向けて発信できる場というのは、本の出版などを除けばほとんどなかったのではないだろうか。

だから、デジタル的にはけっこうプリミティブで、それゆえにけっこう「堅い」メディアに「進化」したのではないか、と思う。最近のSNSの手軽さと比較するとそれは顕著だろう。
 
それだからかもしれないが、ブログやnoteを書き続けるのは容易ではないようだ。僕はnoteでは2年ほど前から毎日更新をしているが、僕がnoteをはじめた頃の人でいまだに更新している人はずいぶん減った。

僕の印象だと、だいたい1年ぐらいを目処に、文章を書かなくなる傾向にあるようだ。1年、2年と続けていける人はきわめて稀なのである。
 
しかし、僕は毎日更新を続けている。コツを身につければ、さほど難しいことではないように思う。


 
そもそもなぜ文章を書くのか? 僕は、99%自分のために書いている。以前、「どういう読者を想定しているんですか?」と聞かれたことがあるのだが、想定している読者などいない。ただ自分が書いていて楽しいから書いているだけである。
 
文章を書くというのは不思議な行為で、人は自分がわかっていることしか書けない。自分が知らないこと、自分が考えていないことは書くことができない。文章が書けなくなってしまう人は、非凡なこと、他の人が考えていないことを書かねばならない、と気合いが入りすぎなのでは、と思う。

「非凡なこと」「すごいこと」というのは自分の尺度にすぎない。自分にとって当たり前のこと、普通なことを書いてみたら、それが他の人にとっては非凡なこととして受け入れられるかもしれない。書いてみて、読んでもらうまでそれはわからない。
 
これはものをつくる人あるあるだと思うのだけれど、自分では「いい出来だ」と思ったものに限って、他者からの評価が低かったりする。その反対に、適当にすらすらと書いたものの評価が高かったりする。僕はこの現象について、バイアス的なものが働いていることが原因だと考えてはいるが、他の要因もあると思っている。

つまり、自分で「いいものだ」と思う文章は、「自分の枠を飛び出ている」ものなのだ。それまで自分が考えたこともなかったようなことや、作る前には想像もしていなかったようなものが出てきたとき、それを自分では「いい出来だ」と評価してしまう。自分では考えていなかったことなので、手放しで高く評価してしまうのである。
 
でも、自分にとって予想もしていなかったもの、というのはあくまでも「自分視点」での話であって、それが本当に画期的かどうかはわからないし、往々にして荒削りなのだと思う。

自分だってまだあまりよくわかっていないものだから、「これはスゴイぞ」と自己評価しても、他人には理解されにくいのかもしれない。逆に、何も考えずにすらすらと書いたものは、自分にとってはわかりきっている話なので面白くもなんともないが、そのぶんそれは客観的に整理されていて、聞き手にとってはわかりやすいのかもしれない。

だから、そういった認識のギャップが起きるのだ。他人に評価されやすいものは、自分にとってはわかりきっていて、つまらない、ということ。


 
ものが書けないなと思ったときは、自分にとってわかりきったことを書けばいい。わかりきったことを書いているうちに、それを踏み台にして、新しい発想にたどり着く。そして、その新しい発想が書いているうちに整理されてくると、また「わかりきったこと」に変化していく。そうやって、少しずつ自分の思考のステージを上げていくのが「書く」行為なのかな、と。
 
自分に書けることは、つまらない、わかりきったことばかりだけれど、それを続けていくうちに非凡なところにたどり着ける。そう信じて書くといいのではないだろうか。
 
文章が面白いか、つまらないかは読む人が決めることであって、書き手が考えることではない。ただ自分の考えたことを書き連ねて、新しい発想に辿り着くのを待っているのである。

そうやって考えると、毎日更新することも、さほど難しくはないのではないだろうか。

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