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予想ができないから面白い
「面白い物語」とはどういうものだろうか。正解はないので、いろいろな答えがあるとは思うのだけれど、「先の読める物語」はつまらない、と思う人が大半なのではないだろうか。
とはいっても、結末を知っていたらつまらない、というシンプルな意味ではない。大抵の映画やドラマなどは、「結末」はだいたい予想ができる。「どういうふうに」そこにたどり着くのかがわからず、そこをどう見せるかが作者の腕のみせどころになる。
また、優れた作品は、結末を知っていても面白かったりする。繰り返しの視聴に耐える映画などは、すべての筋書きを知っているのに面白い。しかし、全編を通じて、引っかかるところがないものだと、こう面白くはならないはずだ。
やはり、結末や過程を知っていたとしても、「このとき、この人物はなぜこういう行動をとったのだろうか?」のように、「わからない」部分にこそ、面白さが宿るのではないだろうか。
もちろん、「面白い物語」の条件としては、ただ自分の予想を外れればいい、というわけではない。外れていて、かつ面白い、ということが必要なのだ。そう考えると、かなりハードルは高いことがわかる。
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音楽でもそういうものはある。初見のメロディーでも、ちょっと聞けば、メロディーの先の部分は予想ができる。これが、ちょっとひねってあるメロディーだと、先が予測できなくて面白い。
もちろん、これも物語の場合と同じように、人間が気持ちいいと感じるメロディーにはレンジがあるので、ただ単に外れている、というだけでは不快になるだけだ。自分の予想から外れて、かつそれを上回ってくるようなもの(気持ちのいいもの)でなければならない。
もちろん、そんなものを作ることは容易なことではないので、そういう作品と出会えればラッキー、ということになる。
人間の思考についてもこれが言える。初めて会うタイプの人だと、次にどういう行動をとるのか、予想ができないから面白い。もしかしたら、他人に「飽きる」というのは、その人の行動原理を概ね理解してしまって、次にその人がどういう行動を取るのか予想できてしまう、ということなのかもしれない。
もっとも、人間というのは常に変わっていくものなので、完全に他人のパターンを網羅できることはそうそうない。貪欲に何かをインプットして、どんどん「変化」していく人は、先が見えず、それだけで魅力的なのだろうか。
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最近は将棋ばかり指しているが、将棋は対人の対戦ゲームなので、意外性のある手にしょっちゅう出会うことができる。特にオンライン対局の場合、毎回違う人と対戦するので、全然飽きない。
数手指すと、なんとなくその人の性格が透けて見えるというか、「こういう性格の人なんだろうな」というのはわかる。むしろ、会話をしたりするよりもわかりやすいかもしれない。
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