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「役に立つスキル」ほど役に立たない

人間が不安な気持ちになる理由のほぼすべては「未来のことを考えるから」だろう、と思う。しかもデータに基づく未来予測ではなく、多くは感情的なもの、根拠のない未来予測をすることで不安な気持ちは増幅するように思う。

明日や明後日ぐらいの近未来であればそれなりの精度で予測できるが、半年先、一年先ぐらいになると怪しくなる。10年後の未来は誰にも予測できないだろう。

しかし、おそらくたいていの人は10年後の世界でもまだ普通に生きているはずだ。予測できない世界で普通に生活している自分は想像がしにくい。だから不安になるのだろう。

住宅ローン関連の本を読んでいたとき、「住宅ローンを組むのは人智を超えた作業です」ということが書いてあって、面白いこと言うな、と思った。そのへんの住宅街に建っている家はおそらくほとんどが住宅ローンを借りて建てられたものだと思うが、人智を超えた作業をみんなやった、ということになるのだろうか。

確かに住宅ローンというのはだいたい35年ぐらいの期間で返済していくものだが、35年間、社会がどう変化するかなんて誰にもわからない。わかる人はいないだろう。でも、その期間はお金を借りて、返済し続けないとならない。確かにその意味では人智を超えているのかも。

学生の頃は将来が全然見えなかったので不安だったが、思い描いていたものと違ったものの、思っていたよりもいい感じになったな、と思う。事前に計画していまの状態に到達するのは無理だったと思う。まあ、自分なりに努力してきた結果いまがある、という感じだろうか。

将来のことはわからないので、どういうスキルが生きるか、みたいなことも誰にもわからない。理想のキャリアなんてのも当然わからない。ちょっと前までは「プログラミングを学べば将来安泰!」と言われていたのに、chatGPTなどの生成AIが出てくると、プログラミングスキルなしでも自然言語でプログラミングができるようになり、急に「プログラマーは生き残れるのか?」という論調になってきた。世間の変化はすさまじい。

一方で、これはどんな社会になってもプラスになるだろうな、という習慣はある。たとえば筋トレとか読書みたいな習慣はどういう社会になったとしても自分の役に立つと思うので、意味があるんだろうな、と思う。

読書記録として読書メーターというサイトに読んだ本を登録しているので、読んだ本の冊数がわかるようになっている。僕が約10年で読んだ本は現時点で1398冊、428262ページになるらしい。これはやろうと思ってもすぐには到達不能な数字になっていて、10年かけてコツコツやってきたことだからできたんだろうな、と思う。

短期的に「これが役に立つ」と習得してきたスキルのほうが、すぐに陳腐になったりするのかも。その意味では、ビジネス書みたいなものより、小説などを読むほうが、人生を理解する助けになるだろう。

いま、ニュースでソフトバンクの孫正義の資産がものすごく増えたと報じられている。保有しているARMという半導体メーカーの株価があがっているかららしい。さすがに先見の明がある。

しかし、ソフトバンクの社名の由来は、「ソフトウェアの流通業を担う」という創業時の商売に由来し、「ソフトウェアの銀行」という意味だったようだ。もともとはソフマップやグッドウィルみたいなソフトウェアパッケージの流通業をやっていたことに由来している。いまでもその商売は生きてはいるようだが、早々に主要なビジネスではなくなっている。

最初は「ソフトウェアの流通業をやるぞ」ということで起業したものの、ヤフーの日本法人を設立したり、携帯キャリアに参入したり、ブロードバンドをやったりなどで躍進していったわけだ。孫正義といえども、創業時に何十年も先の未来を見通すことはできなかったらしい。

孫正義で無理なのだから、凡人の自分にはますます無理だろう。下手に未来を見通してうまく立ち回ろうとするのはやめて、どんな未来でも有効な習慣を身につけよう、と思う。

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