見出し画像

エゴと矛盾

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で、「エヴァンゲリオン」の生みの親、庵野秀明の特集をやっていた。

この番組は、意外とアニメ監督の特集をよくやっている。それこそ、宮崎駿なんかは何度も出ているし、「時をかける少女」でおなじみの細田守の回も見たことがある。しかし、この偏屈な庵野秀明の撮影は困難を極めたようで、それは編集された映像を見ているこっちにも伝わってきた。
 
なにせ、自分から作品を語らない。質問されても、一言のみの返事。そもそも、会社に来ない。会議に出ても、資料を見もしない。そういうところから、ドキュメンタリーはスタートした。
 
ドキュメンタリーの中盤までは、庵野はまったく動かない。もちろん、編集された映像に登場してはいるのだが、数少ない映像をつぎはぎして作られているのだろう。すべてをスタッフに任せ、作品については全く口を出さない。
 
でも、それで最後まで行くのかと思うとそんなことはもちろんなく、途中から、みんなが苦労して作ったものをダメ出ししていく。それも、根本から、徹底的に。今まで作ってきたものを全部ひっくり返そうとする。

そうやって、ちゃぶ台をひっくり返したあとは、庵野秀明自身が編集室にこもって、ああでもない、こうでもないと不眠不休で画面をつくる。

こだわりがないんだか、あるんだか、さっぱりわからない人が多かったことだろう。


 
でも、見ていて、自分にもちょっとそういったところがあるので、わりと感情移入しながらみることができた。
 
僕も、何か自分の作品を作ったり、仕事をしたりするときは、ひとりで作業するのが好きだ。とにかく、いい作品を仕上げるために、自分の考えたようにやってみたい。なるべく完璧なものを作ろうとする。

でも、自分ひとりで作れるものの限界も見えてくる。人間ひとりの引き出しにも、限界というものがあるからだ。だから、いろんな人の意見を取り入れたほうがいい、それはわかっている。

でも、まずは自分の納得のいくように作ってみたい。
 
自分の作った部分が他人によっていじられるのが嫌だから、むしろ、人に任せる部分は徹底的に任せて、自分は全く立ち入らないほうが気持ちがよかったりする。

その代わり、自分の担当する領域には他人を立ち入らせない。庵野秀明の制作スタイルも、そういう感じなのではないか、と思った。


 
冒頭で、ジブリのプロデューサーである鈴木敏夫が、「庵野は大人になりきれなかった大人だ」、みたいなことを言っていた。「エヴァ」の主人公である、少年の碇シンジそのものなのだ、と。少年のまま、60歳まできてしまった。

それは、言ってしまえば、「自分が遊んでいるオモチャを他人にいじられたくない」という、少年のエゴそのものなのではないだろうか。もちろん、それではものは作れないし、いいものも、面白いものもできないことはわかっている。
 
自分ひとりで遊びたいけれど、自分ひとりの発想に限界を感じている。そういう矛盾を感じた。

だから、苦しそうに作っているのかもしれない。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。