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最初は「気持ちの言語化」から

最近、社内で新規事業のコンペがあるため、それに応募している。いちおう業務に含まれるようで、仕事のあいまにその準備をしている。

一次的なアイデアとプレゼンは終わったのだが、いくつかの段階があり、先に進むのはなかなか険しい道のりである。どういうことをやろうとしているかは全く書けないのだが、久々に仕事でちょっとワクワクしている。

コンペ形式なので、自分以外の人の企画も見ることができる。参考になる部分ももちろんある。しかし、なんとなくではあるが、これはダメそうだな、というのも見えたりする。

自分も同じ参加者の立場なのでエラそうなことはもちろん言えないのだが、一応10年近く新規事業あるいはそれに近いことをずっとやってきたので、経験値はそれなりにあるつもりだ(実際、簡単にうまくいくほど甘くはないので、成功事例はあまりないのだが)。

成功するパターンは残念ながらもっていないが、失敗するパターンは自分がやってきたのでよく知っている。「この考え方だとダメそうだな」というのがなんとなくわかるのだ。

先日、勉強のために読んだ本が、シンプルながらとてもよかった。

これ系の本は何冊も持っているのだが、それぞれ微妙に書いてあることが違うので、参考になる。

この本によれば、新規事業というのは、世の中にある「不」を見つけ出してそれを解消することらしい。それは当たり前のことなので、そこまではいい。

面白いと思ったのは、その順番は「国語」「算数」「理科」「社会」の順で組み立てろ、というのである。

「国語」で、まず事業の動機、やる理由や内容を言葉で洗い出す。
「算数」で、その事業の採算の部分(ビジネスモデル)を計算する。
「理科」で、その不が生じている理由を洗い出す。
「社会」で、その問題が生じている背景を理解し、世の中はどのように動いているかを見る。

ということだ。新規事業はこの順番で組み立てることがとても大事、ということらしい。順番を間違えてはならない。

特に「まず国語から入ることが大事」という考え方はいいな、と思った。一番最初は自分の気持ちから入る。そのうえで、なぜそれを思いついたのかについて言語化する。もちろん、その「気持ち」というのは、「社会のこの部分が問題だと思う」ということの言語化である。

新規事業というと、まずマーケットやロジックから入ろうとする人はかなり多い。マーケットも、新聞や統計データなどを見ていると気づくことはもちろんあるのだが、それらは要するに誰でもアクセスできる情報なので、「自分が」それをやる理由がなかなか見出しにくい。

もっとも短絡的なものは、たとえば「ビットコインが伸びているのでこういう事業に参入しましょう」とか、「NFTアートというのが流行ってるので、こういうのをやりましょう」みたいなやつだ。

こういったものは魂がこもっていないし、「流行ってるものに乗っかろう」というだけなので、差別化も難しい。しかし、いきなり新規事業というと、こういうアイデアを思いつく人が結構多いんだな、と。

大阪の商人などは、あまりそういった「社会課題」というものは考えずに、とにかくそろばんを弾いて儲かりそうな商売をするというイメージがあるが、やはり着想の部分は世の中の「不」を見つけ出す、というところにあるのでは、と思う。

事業というのは、どういうものであっても必ず「キモ」の部分がある。この事業はこの部分がほかと違うところで、従来のやり方では解決できないこういった問題を解決するものなんです、と。

実際のところ、誰も思いつかなかった事業というのはほとんどこの世にはなく、何らかの問題をもって「止まってしまっている」ことが多い。それを解決するために、こういう視点で、こういう方法で取り組んでみます、というのが新規事業なのだ。

こういったアイデアを考えるときは、創作作品をつくるときの気持ちに似ている。小説でも音楽でも、「こういったところが新しい」という部分を思いついたときに作品として成立する。簡単に思いつくものではないが、ひらめいたときは目の前の視界が開けていくような快感がある。

広げて考えてくと、これは「就職活動」「婚活」「進学」など、いろんなことに応用できることだろう。一番最初はまず、気持ちの言語化から。

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