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「論破」にメリットはありますか?

いま、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏がにわかに人気を集めている。氏はよくYouTubeで生配信をしているらしいのだが、その配信で非常に人気を博しているらしい。

YouTubeのライブ配信にはスパチャという機能があって、要するに投げ銭のようなものなのだが、そのスパチャをした人の質問を読み上げて回答する、ということをやっているようだ。そこで繰り出される回答が面白いというので、生配信の一部分を録画して、動画として投稿する人がいるのだが、ひろゆきはその転載行為を許容している(収益の一部をもらっているという説もあるが、真偽は不明)。

なんにせよ、そのライブ配信における歯に絹を着せぬ物言いで人気を呼んでいるわけだ。
 
僕もいくつか動画を見たことがあるのだが、確かにいろんな質問に対して即座に面白い回答をしているので、ついぼーっと見続けてしまう。突然来た質問に対してこれだけのレスを返せるのだから、基本的には頭の回転の速い人なんだろうな、と思う。

しかし一方で、界隈では「論破王」とも称されており、あらゆる著名人や文化人までをも「論破する人」として知られているようだ。


 
自分の忌憚のない意見を、反対意見に屈したり、目上の者に忖度することなく表明する、というのであれば僕は支持する。

むしろ、そういう態度はとても好感がもてるのだけれど、あまり意味もなく相手を「論破する」という行為については、僕は、幼いな、と感じる。というのも、実社会で相手を論破するメリットなんてほとんどないからだ。

実質的に相手をやりこめて、論破できそうになったときも、完全に論破し切ることはほとんどない。いわば、喉元に剣を突き付けたら勝ちというか、将棋で完全に王が詰まされる前に投了するのと一緒で、「相手を完全に言い負かす」のは学生ぐらいまでだろう、と思う。
 
たとえば、営業で変なものを売付けられそうになったとしても、企業間の取引だったなら、とりあえず話は聞くことになる。で、どれほどその商材に興味がなかったとしても、相手を論破することは基本的にはない。そういうときは、それっぽい世間話をして、適当なタイミングで、相手に悟られないように丁重にお引き取り願うだろう。

社会人になったときに、いろんなところに商談に行ったのだけれど、この法則がいまいちよくわかっていなかった。見込みのない商談をしても、「なんかわからないけど、丁寧に応対された」と喜んでいたのである。しかし、現実には、相手に購入の意思があるほど細かい点まで追求される。

しかしそれにしても、完全に論破されることは基本的にはない。相手を論破しようものなら、逆恨みされる危険性もあるので、あまり賢い行為とは言えない。


 
別に相手にへいこらしたり、どうでもいい世間話をすればいい、というわけでもないのだけれど、「論破する」ことは無意味だ、ということにどこかに段階で気づく。だから、いい年して「論破王」というのは、ちょっと恥ずかしいな、ぐらいの感覚で見ているのである。
 
別にそれだけが原因だとは思わないが、ドワンゴを追い出されたり、それなりの規模の組織でひろゆき氏がなじめない理由は、やっぱりその辺に理由があるのだろうな、ということを思う。……まあ、余計なお世話ですけどね。

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