なぜ日本人は「儲かっていること」を隠すのか?

日本人は「儲けること」を嫌い、「自分が儲かっていること」を隠す傾向にある、というのが通説としてよく言われている。ネットにおいて儲かっている人を叩いたり、儲かっている企業を批判したりする行為がよく見られるが、そういったところからもその傾向が見られる。

古典的な大阪の商人の会話で「儲かってまっか?」と問いかけるものがある。「儲かって仕方ないですわ」と返す商人はあまりいないだろう。「いや、ぼちぼちでんなぁ」と謙遜する人が多いのではないだろうか。

商人にとって、自分が儲かっていることを自慢しても何の意味もない。むしろ妬まれることを知っているので、たとえ本当に儲かっていたとしても、あまり儲かっていないような素振りをするのである。

そういったところが、日本人があまり「儲けること」に対してポジティブではない、というイメージにつながっているのだろう。

普通のサラリーマンだってそうだ。日本人の平均年収は公表されているが、平均年収をはるかに上回る収入のサラリーマンも多いことだろう。しかし、そういったサラリーマンもことさらに自分の収入を自慢することはない。

そういったものとは無縁な政治家でも、「庶民感覚」がわかっていることが大事とされ、例えば、岸田総理が総理になる前、夕食の皿洗いをするところを写真に撮ったりしていた。逆に、カップラーメンの値段がわからないなど、庶民感覚がないことが批判の対象になることもある。麻生太郎などがその代表だろう。

だが、これは別に日本人だからというわけではなく、他人が儲かっていると妬ましく感じるのは、人類に共通した感覚ではないだろうか。実験では、猿でも他の猿が自分よりも良いものを食べていると妬ましい感情が湧くらしい。

おいしそうにキュウリを食べている猿の横でぶどうを食べている猿がいると、それまで美味しそうにキュウリを食べていたのに、放り投げるようになったりするのだとか。

猿にも「嫉妬」という感情があるようなので、別に国民性うんぬんの話ではないだろう。

では、世の中で「儲かっていること・成功していること」を喧伝している人も見かけるが、それは一体なぜなのだろうか。まずひとつの要素としては、「成功している」ということがブランドを形成し、商品を売る際の宣伝にしたり、さらなる投資を呼び込む要素になる、ということがあるだろう。

投資家は成功している人に投資をしたいと思い、明らかに見込みがない人に投資をしたりはしない。大阪の商人は基本的には自分の資金で商売をやっているので、儲かっていることを宣伝することにメリットはないが、資本主義社会で他人から投資をしてもらう場合には、自分が成功している金持ちだというのを見せつけるのは戦略として有効なのだろう。

欧米で大成功している人はしばしば寄付をする。特に長者番付に乗るレベルの人は莫大な私財を寄付に回す。これは儲けすぎて使いきれないから、というのももちろんあるだろうが、儲かりまくったお金を社会に還元することによって、それまでの罪滅ぼしをしたり、自分の好感度を上げることを期待している人も多いのではないだろうか。

ビルゲイツやジェフベゾスなど、莫大な寄付をする大金持ちは多い。ビルゲイツの場合は、ただお金を寄付するだけではなく、自分で考え、調べたうえで、新しい技術に投資をしていくので、純粋な「課題解決」の意味合いが強いかもしれないが。

フランスなんかだと「高貴たるものの義務ノブレス・オブリージュ」の精神で、高貴なものは、一般庶民を助けなければならない、という思想をもっている。エリートが庶民を引っ張る責任があるというのは貴族的な考え方だろう。

儲けることが良いことだとされるかどうかは、個人個人の性質というよりは、むしろ社会の性質のような気がしている。今では日本はバリバリの資本主義社会なので、金を持っていることを自慢することにメリットがある人も増えているだろう。

投資詐欺やマルチ商法など、とにかく自分が金を持ってることをアピールする人が多い。YouTubeなんかもその傾向にあるような気がする。

一般的な会社員が自分の収入自慢することにメリットはないだろう。なので会社員が多い日本社会では、「儲けることを喧伝しない」ほうが得策なのかもしれない。

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