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戦争反対、と叫ぶひとたち

戦争反対、と世の中に訴えている人たちがいる。それに対して、そんなことをしても、戦争はなくならないよ、と冷笑する人たちがいる。

僕は冷笑はしないが、「どれぐらい、ものを考えて戦争反対と言っているのかな」といったことは考える。戦争がいけないことぐらい、誰でも知っている当たり前のことだ。小学生だって知っている。生きていくためには食べ物が必要、ぐらい当たり前のことである。もし、「戦争反対」のイベントによってはじめて「戦争って、いけないことだったんだ」と気付いた人がいたとしたら、ぜひ話を聞いてみたい。

例外はあれど、戦争そのものが好きな人なんて、ほぼいないと思っている。たとえ侵略戦争であっても、目的は他国の領土なり資源なり具体的なものであって、その手段として戦争を選択しているだけだ。

「戦争反対」と言う際、重要なのは「誰に向けてそのメッセージを発するか」だろう。現代の日本人で、戦争をどうしても起こしたい、と考える人はほとんどいないはずだ。なので、日本でそういったことを叫んでも、あまり効力はないのではないか。そもそも、戦争をやっている人たちも、そんなことはわかりきった上でやっている。戦争を起こす人たちは、誰もが、自分たちの考える正義、自分たちの信じるものに従って戦争を起こしている。

「(自分たちの考える)正義のためなら、鬼でも悪魔でもなる」と真剣に考えている人たちに対して、「暴力反対、戦争反対」と呼びかけることに、どういう意味があるだろうか。

戦争といえば、フィクションの中の世界か、過去の戦争ぐらいの、非常に抽象的なものでしかなかったが、いま、現在進行形で本当に戦争が起きている。

「世界平和」を訴える人々は、現在進行形で戦争が起きているので、きっと活動に大忙しなのだろう。戦争反対と叫ぶことによって、戦争が止まればいいのだが、いまのところはその兆しはなさそうだ。

ロシア・ウクライナの戦争がはじまって半年ほどが経つが、いまだに終わる気配がない。当初、誰も予想していなかったのではないだろうか。

僕は数日以内に停戦すると思っていたし、一ヶ月も続くことはないのでは、と思っていた。当事者もきっとそう思っていただろう。

ロシア側にとって予想外なことは、西側がウクライナに武器を供給し続けていることだろう。ウクライナのNATO加入をめぐるいざこざが今回の戦争の発端のひとつではあるが、当初、NATOはウクライナに対して軍事介入をしない姿勢だったのが、いまは軍事支援をしているし、米国も介入している。

短期決戦で制圧するつもりだったのが、協力しないと踏んでいた西側が協力するばかりか、無限に武器を供給し続けている、というのは、ロシア側にとってはほとんど悪夢に近い。

でも、武器を供給し支援している国々も、ウクライナが徹底抗戦を掲げているからこそ、そうしているのであって、簡単に降伏してしまうような姿勢だったら、わざわざ莫大な資金を投じて武器を供給するようなことはなかっただろう。最後の一人まで戦う、という姿勢に対して西側が支援しているのであって、そうやって「死に物狂いで」頑張っている人たちに対して、「暴力は暴力で解決できない」といった綺麗事が言えるだろうか。実際に侵略してきているものに対し、何もしなければあっという間に制圧されてしまうわけで、もしそうなれば、日本も対岸の火事ではなくなる。

戦争反対、平和が何より大事、と言うことは簡単なのだけれど、そういった複雑な駆け引きが現実世界では行われているのであって、「戦争反対」を訴えている人たちは、そういった事態に対してあまりにも何も考えていないのでは、と思ってしまう。

僕は戦争肯定派ではないが、その時代その時代でベストを尽くしたから今があるのだと思っている。ウクライナの状況を見ると、太平洋戦争末期に竹槍訓練をして「本土決戦だ」などと言っていたのは、アメリカ側からすれば脅威だっただろう。ちょっと攻撃したら簡単に降伏するような国だったら、侵略する側にとっても、それほど楽なことはない。

「徹底抗戦だ」ということを表明しているからこそ、簡単には侵略されないのであって、「暴力反対」と訴えても、ほとんど効力はないだろう。

無論、戦争反対と啓蒙することはまったく無意味だとは言わないし、戦争の被害者が現状を正しく伝えることにも意味はあると思う。しかし、「平和」というのは、そう簡単に実現できることではない、と思う。

なにしろ、どういう状態が「平和」なのか、といった簡単なことさえ、よくわからないのだから……。未来の歴史学者が分析したら、じつは冷戦時代が一番平和でしたね、という結論もありうるかもしれない。

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