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アフリカに行ったことはありますか?

「未解のアフリカ」という本を読んだ。

日本で暮らしているごく普通の日本人にとって、アフリカは距離的にも、精神的にもかなり遠い国である。「海外」と一括りにしても、たとえばお隣の韓国や中国には二時間ぐらいあれば行けるが、アフリカに行くのはなかなか容易ではない。そもそもビザや予防接種などで、準備自体にもそれなりに手間やお金がかかる。

僕は幼少期をアメリカで過ごし、カナダやメキシコにも行ったことがあり、大人になってからはバングラデシュやインドネシアなどいろいろな国に行ったが、アフリカには行ったことはない。そして、当面は行く予定もない。全くの未知の国なのである。

要するに、知識がないだけに不思議な国なのだ。ビジネス的な側面で「これからはアフリカだ」ということが言われたりもするが、実際のところはどうなのだろうか。たしかに、「これから」という側面でいうと、伸びしろはあるのかもしれないが。

最近、面白い学説を目にした。実は、世界人口の半分が、ミャンマーを中心とした半径3300キロ以内に集中している、というのである。

その円の中には当然ながらアメリカもヨーロッパも含まれていない。本当か? とは思うものの、考えてみれば、中国・インド・インドネシアという莫大な人口を抱えた国々がここに含まれている。

世界の中心とまではいかないが、このあたりに人口が集中しているのは間違いないだろう。アフリカも、当然ながら大きな大陸なので人口が爆発的に増える可能性はあるが、中心にサハラがあるため、地質的な条件でどうにも限度はあるだろう(サハラは砂漠という意味なので、「サハラ砂漠」は重複しているということだ)。

このアジアのレベルで人口が増えていくか、というとどうにもイメージがしにくい。

とはいえ、アフリカ=文明が遅れている国、という認識は間違っている。もともと人類の起源がアフリカだし、古代文明がはじまったのもアフリカからだ。古代エジプトの文明は栄華を極め、現代につながっている概念も多い。たとえば、現代では「法」の象徴として天秤がよく用いられるが、この概念を発明したのは古代エジプトである。

最近では、少しずつ経済が回り始め、人口爆発も起きているが、政情は安定せず、治安は悪い。歴史的に、国家元首が汚職などを繰り返している、という事情もある。

しかし、それも元はといえば、ヨーロッパが適当に国境線を引いたために、民族や地形的なものを無視して国境が定まったので、国民としては何をもって団結していいかわからず、「国の象徴」として政治家を祭り上げる傾向にあり、権力が集中しやすいのだという。

そういう意味でも、まだまだ発展途上にある、というところだろう。ほかにも、教育においては、低学年のうちは現地の言葉で教えられるが、ある年齢から急にフランス語での教育に変わり、ついていけなくなる、という事例もあるらしい。

本書では、黒人奴隷の話にも少し触れられている。他国から侵略された経験もなければ、人種差別にも疎い日本人からすると「肌が黒いのが差別」という認識があるが、肌が黒い、というのは単に身体的な特徴にすぎない。要は、ヨーロッパ人がアフリカを侵略したので、その結果として「人を略奪」しただけのことなのである。

もし、ヨーロッパ人とアフリカ人の肌の色が逆でも、同じことが起きただろう。「モノ」として扱われた黒人奴隷たちは、船に貨物のようにぎゅうぎゅう詰めで運搬され、病気になったら海に捨てられるなど、凄惨な歴史がある。しかし、ヨーロッパも、アメリカも、産業文明以前はその黒人奴隷によって国が栄えてきたという経緯があるのだ。

時代は進み、世の中はどんどんクリーンになってきている。個人レベルでいっても、昭和の頃はパワハラ・セクハラなどが当たり前のように行われていたのが、現代では減ってきている。CO2削減もそうだし、SDGsの流れもそうである。欧米主導で、世界をクリーンにしている、といってもいいだろう。

世界がクリーンになるのは結構なことなのだが、そういった「汚れた歴史」で栄華を極めた国々が、新しいスタンダードを作って、新興国を牽制している、という側面もある。他国に侵略して現地人を奴隷にすることなど、現代ではいかなる場合であってもありえないだろう。しかし、それで栄えたのが現代の欧米なわけで。

人類というのは一筋縄ではいかないが、今後アフリカがどうなっていくのかには要注目である。

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