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わかっていることを書き留めることに意味はある

ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」などの文化人類学の本を読むと、農耕などの人類の文化・技術の起源などについて知ることができる。

農耕の起源も確かに興味深い事実なのだけれど、とりわけ僕の関心を引くのは、「文字」の発明に関する部分だ。
 
文字の起源にはさまざまな説があり、象形文字や楔形文字など、初期のものに限っても種類がいくつかある。前提としてほぼ間違いないのは、「文字の前から言葉があった」のであり、「文字がなくても、人類は何百万年も生活をしてきた」ということだ。
 
たとえばニューギニアなどの、ほんの100年ほど前まで石器時代の延長のような暮らしをしていた人々は、生活の中でほとんど文字を使っていないはずだ。狩猟採集をベースとした生活には、帳簿をつけることもないし、生活におけるマニュアルも存在しない。

しかし、だからといってニューギニアの人々の能力が低いのかというと、むしろその逆で、個々の能力は非常に高いのだという。文字を使って伝達することは少ないが、言語そのものは非常に発達しており、身の回りの情報が生存に関わることばかりなので、記憶力や判断力にも優れている。


 
でも、世界を見渡せば、文字を書く文明が栄えて、文字を持たない文明は滅びた。人類史の大半は、「文字を持たない文明」が占めていたが、ある時点を境に人類は「文字」を獲得し、文字を持たない文明を淘汰した。

今日では、いろいろな文字があるものの、生命の起源のように、文字の起源もたったひとつに行き着くのかもしれない。例えば、アルファベットなどの文字は、形態を変えながら、世界のあらゆる地域で使われている。


でも、たとえば漢字などの、起源の異なるように思える文字も、全く関係なく偶発的に生まれたのかというと、おそらく違うだろう、とされている。なぜなら、何百万年も文字を使わないで人類は生きてきたのに、ある時点で突如としてみんな文字を使い始めたからだ。文字の意味が理解できなくても、「文字を使うことのコンセプト」は、ある時を境に伝染病のように世界中に広がっていったのだろう。
 
なぜ文字をもつ文明が強かったのか。やはり、文字によって情報を共有できたから、という点が挙げられる。また、あらゆる情報を記録できたので、より複雑な社会を運営することができた。

考えてみれば、文字というのは、記録など、「わかっていること」を書き留めるために使われてきたのだ、ということがわかる。
 
世界最古の文字は何に使われたのだろうか。意外かもしれないが、最初は、経理用の帳簿から文字の使用はスタートした。干し肉や魚を何匹、いつ、誰に引き渡したとか、人類の初期の文字はそんなふうに使われたのだ。そもそも、文字のはじめのほうは記号のようなものだったので、普通に人々が口語で話しているような内容を書き留めることなんてできなかった。
 
今では、文字をパソコンで打ち込んで、特定の人に送信したり、自分の記録に使ったりすることができる。いま僕が書いているこんな文章のように、インターネットを介して不特定多数の人に読んでもらうこともできる。


 
日々文章を書いていると、「わかっていることを書き留める必要なんてあるのか?」ということを考えることがある。しかし、そのように文字の起源まで遡って考えてみれば、もちろん、わかっていることを書き留めることには意味がある、とわかる。わかっていることを書き留めて、そのうえで何を考えるか。また、自分がわかっていることを、他人に伝えて、そのうえで何を考えてもらうか。
 
すべての起点は、「書く」ところからスタートする。書かなくても生活ができる、ということはこれまでの人類史が証明しているが、「書く」ことを得られれば、いまの自分よりもより高度なことを考えることができ、より遠くまで行けるようになるだろう。

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