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電車でくたびれて寝ること

すっかり乗る機会は減ってしまったけれど、たまに電車に乗る。

僕は今は中央線ユーザで、23区外に住んでいるので、都心に向かう電車では高い確率で座ることができる。在宅勤務が中心のため、通勤と言うよりはほとんどイベントに近い出社の時に、電車に乗ってふと考えることがある。
 
サラリーマンになりたくない、という若者が主張する理由のメジャーなものとして、「サラリーマンが楽しそうではない」というものが挙げられるらしい。くたびれたスーツを着て、電車の中で無様に爆睡してる姿を見て、ああはなりたくないと自分を戒めているのだろう。

あるいは、休日、何もせずゴロゴロしてテレビを眺めている自分の父親なども、モデルケースとして想像しているのかもしれない。
 
「電車の中で他人からどのように自分が見られているか」ということまではあまり考えたことはないな、と思った。もちろん、電車に乗る自分の姿を周りの人間も見ているわけで、客観的に自分を見てみたら、どういう風に見えるのだろうか。

電車では座っていることが多いので、結果、ほとんどの時間は寝ている。僕は電車で爆睡することができるという特技を持っていて、しかもめったに乗り過ごすことがないので、座った瞬間に寝る、ぐらいの勢いで、車内においては睡眠がメインタスクになる。

たいして眠くなくても、電車の揺れに反応して眠くなってしまう体質らしく、本当に乗車時間の大半は寝ていると思う。なので、自分の姿をもし中高生などが見ていたとしたら、くたびれたサラリーマンに見えて、ああはなりたくないと思われているのかもしれない。


 
しかし、ひとついえることは、サラリーマンにとっての「戦場」は電車ではないということだ。

電車というのはいわば自宅から出て会社に着き、仕事モードに切り替わるまでの「緩衝地帯」みたいなもので、電車の中で元気ハツラツになっているサラリーマンがいたら、ちょっと見てみたい。

要は、仕事のスイッチが入っていない状態なのでそういう風になっているだけであって、実際どのサラリーマンも仕事をしている最中はそれなりに一生懸命やってるんじゃないかと思う。日曜日は仕事スイッチが完全に切れて、ダラダラしていたとしても、それが本来の姿ではないような気がする。

もし、若い人たちがユーチューバーなどの姿を見て、サラリーマンよりも元気で楽しそうであるということを感じているのであれば、あれはユーチューバーにとっての「勤務時間中」の姿を映しているのであって、サラリーマンとは真逆である、ということを言っておきたい。

ユーチューバーの本当のオフの時間を収めた動画かなにかがあったらちょっと面白いかもしれないが、あまりにも変化が乏しくて、面白くないかもしれない。


 
そういう僕も、一般的なサラリーマン像からするとちょっと特殊な仕事をしてるので、やや一般層からは逸脱するかもしれないが、しかしそんなにくたびれてはいないと思う。とにかく、目に見える印象が全てではないということは確かなのではないか、と。

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