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「常識」は教えられないと身につけられない

以前、勤めていた会社の海外法人の代表をしていたことがある。海外法人の代表といってもそんなに大したものではなくて、海外進出の事前調査みたいな感じで、四畳半ぐらいのレンタルオフィスを借りて駐在していたのだ。25歳から27歳ぐらいまでの時期だったと思う。
 
そのとき、組織としては新規事業というか、本流からかなり外れた組織だったので、直属の上司が、なんとグループの副会長だった。立場的には社長よりもエライ人で、どう考えても25歳の若造が直接のレポートラインとして接触するのはおかしいのだが、とにかくそういうことになってしまった。

とにかく、毎日、すさまじいまでに怒られていた。毎日、朝、昼、晩、深夜に怒られている感じだった。何かメールを送ると必ず怒られるので、メールを送るのをなるべく先送りにして、夜ギリギリに送って、あとはパソコンとスマホを電源を切って朝を待ち、朝に返信を返す……みたいなこともやっていた。

一応、僕の肩書は代表(社長)ではあったものの、代表っぽさは皆無だった。部下の社員は一応いたが、実態はそんなありさまだった。
 
そのときのポイントは、怒られている意味が全くわからない、ということだった。メールを送るたびに怒られるというのは、要するに自分の思考回路や行動が根本的に間違っているからなのだが、なぜそれが間違っているのかわからなかった。

わからないポイントで怒られると精神的にかなり追い込まれる。海外の一人暮らしで孤独だったけれど、「何に対して怒られているのかわからない」というのが一番しんどかったように思う。


 
本来、サラリーマンのレポートラインは、平社員が係長にレポートし、係長が課長に、課長が部長に、部長が役員に、という感じでエスカレーションしていくも。だから、平社員だったやつがいきなり副会長にレポートをあげるというのはそもそも無理がある。将棋の駒の動かし方を覚えたばかりの人間が、プロのA級棋士と指し合うようなものだろう。
 
そのときの自分にはわからなかったのだけれど、要するにそのときの自分はいわゆる「常識」がなかったのだと思う。普通のレポートラインであれば、ひとつ上の職位の人から教わるべき「常識」が欠如していたので、朝昼晩と一日じゅう怒られていたのだろう。

天才や、優秀な人は常識を無視するものだと思われているけれど、最近はそうじゃないと思っている。スゴイ人というのは、どういう性質であれ、「常識」を身につけているものだと思う。

常識を身につけた上で、「常識を超えた振る舞い」ができるのが天才なのかな、と。孫正義や柳井正は常識はずれのことをして成功かもしれないけれど、彼らに常識がないか? といったら違うだろう。傍若無人に見えるホリエモンだって、世の中で「常識」とされていることはわかっていて、あえてそれに従っていないように見える。
 
「常識」って目に見えない分厄介だな、と思う。本屋に行けば、「常識」を売りにした本がたくさん置いてあるけれど、そんなものだけでは身につかない。常識というのは教えられないので、常識が違った時に注意してもらうしかない。実践を重ねるしかないのだ。

若ければいいけれど、歳をとったらもう教えてもらえない。若くても、目上の人の言うことを馬鹿にしていたりすると身につかない。それも恐ろしい。


 
将棋も、長い時間をかけて作られた「定石」があり、基本的にはプロ棋士も「定石」を踏まえた上で将棋を指している。

藤井聡太みたいな天才が、その「定石」を踏襲しつつも、それを否定するさし方をして、周囲を驚かせる。でも、そもそも「定石」を知らないようでは話にならないのでは、と。

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