タイムマシンの地名

最近、地名の由来を調べるのが静かなマイブームになっている。それも、自分の家に近い、身近な地名を調べるのが面白い。
 
僕は三鷹というところに現在住んでいるのだが、近所に「吉祥寺」という場所がある。駅名になっているぐらいだから、当然「吉祥寺」という寺でもあるんだろう、と思っていたのだが、どうもそんなものは存在しないらしい。

不思議だ、ということで調べてみると、江戸時代には吉祥寺という寺が本当にあったそうだ。ただし、場所はかなり離れていて、水道橋のあたりにあったらしい。

どういうことかというと、昔、吉祥寺という寺が本当にあったのだが、俗にいう明暦の大火で焼失してしまった。そして、その周辺にいた人たちが移住してきた先に、「吉祥寺」という地名をつけたというわけだ。

なるほど、経緯を知るとなかなか面白い。
 
調べてみると、自宅の近隣の地名はけっこうそういったものが多く、江戸のあらゆるところから移住してきた人たちの地だったらしい。いまでも東京の郊外ではあるが、江戸時代においては、おそらくこのあたりはなんにもなかったのだろう。なんにもない土地だから、移住者たちの土地だった、と。
 
近くに「荻窪(おぎくぼ)」という場所もある。かつて、この地を訪れた旅人が、辺りに自生していた荻を刈って、観音像を安置する草堂を作った。 荻の草堂は「荻堂」と名づけられ、地形が窪地であることから、「荻窪」という地名が付いたらしい。はあ。

ここも、相当なんにもない場所だったんだな。


 
いまはもちろん東京都は都会なのだが、地名の由来を見ていくと、かなり田舎っぽい感じなので、そのギャップが面白い。

もちろん、徳川家康がここを本拠地とするまでは、現在の東京の大半は沼だったというのだから当然のことかもしれないけれど。しかしそれにしても、いまだに地名に名残が残っているのは面白いな、と。
 
歴史を学ぶのもいいが、「地名」に着目して歴史をみるのもまた一興かもしれない。もちろん、由来が諸説あってハッキリしないものも多いが、それはそれで興味深い。

由来すらわからないのに、現存しているということは、「地名」というのが過去から未来に伝える、タイムマシンのようなツールであるといえる。

なにせ、文献など何も残っていなかったとしても、「地名」は残るのだから。いまここで暮らしている人々が全員いなくなったとしても、「地名」は残り続ける。そう考えるだけでけっこう面白いものだな、と。また、地名はいろんなバリエーションがあるので飽きない、というのもある。


 
ちなみに僕は三重県の出身だが、三重の由来はというと、「古事記」に出てくるヤマトタケルノミコトが戦争の果てにこの地にたどり着き、「足が三重に折れ曲がりそうだ」と言って亡くなったらしい。

それが残って、「三重県」なのだとか。なんじゃそら。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。