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「スキル」では表現できない

「スキル」という言葉は非常に一般的な言葉ではあるものの、かなり抽象的な言葉だ。「スキルを身に着ける」「スキルを持っている」とは、実際にどのような状態を指すのだろうか?
 
「スキル」というのは、簡単に言い換えてみるならば、「能力」というよりは、「経験そのもの」なんじゃないか、と思った。つまり、「こういうことが『できます』」じゃなくて、「こういうことを『やりました』」がスキルなんじゃないか、ということだ。
 
実際、資格などが必要な職業の場合、資格を持っているだけで採用されることは少ない。募集要項に、「実務3年以上」みたいな但し書きがしてあることが多い。それは要するに、資格があるだけでは不十分で、実際にその仕事に従事してきた「実績」が問われる場合が多い。

もちろん、実績といっても、見習い状態で終わったのか、実際に深く実務を経験をしたかは異なるので、さらにそこから中身が深く見られたりするわけだ。


 
資格保有者の話ならまだわかりやすいのだけれど、一番わかりにくいのが「コミュニケーションスキル」だ。これはいったい何を指しているのか本当にわからない。

もちろん、能力として、物事の伝達能力やプレゼンテーションスキルといったものがあることはわかるのだけれど、そんなのがあったからといってそれだけでうまくいくほど世の中は単純ではない。これも、実際にどういう交渉をまとめたとか、こういう衝突を調整したとか、そういった「実績」が問われるものではないか、と思う。

例えば、ソフトバンクの孫正義がiPhoneの独占販売権を取得する交渉のためスティーブ・ジョブズに会って、その場で「通信事業者の資格をとったら考えてやる」と言われた、という逸話があるけれど、このレベルになると単にコミュニケーションレベルとかそういった次元ではない。

いまはサウジの富豪とビジョン・ファンドというものを立ち上げたけれど、一体どういう「スキル」があればそんなことができるのか、検討もつかない。あるレベル以上になると、「スキル」なんていう言葉にほぼ意味がなくなってくることがわかるだろう。


 
いま、コロナ禍でいろんな活動が制限されているので、就職活動では「学生時代に力を入れたことガクチカ」が何も話せない、というのはよく聞くけれど、むしろ障害があったほうが話す内容が多いのでは、と自分は思う。コロナ禍だから、こういう取り組みをしました、という「困難な状況を乗り越えた実績」を話せることを考えると、むしろチャンスなのではないだろうか。
 
何ができます、と大風呂敷を広げるのではなくて、実際に自分がやってきたことを整理して、実績とするのが大事なんじゃないかと思う。そして、「経験」こそが本当の自分の財産になる、ということ。

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