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いい「児童向けのコンテンツ」とは?

児童に対する教育って大事だよな、とつくづく思う。子どもは大人よりもはるかに濃密で重要な時間を過ごしているからだ。

以前、ゲームディレクターの桜井政博が、「任天堂のゲームはなぜ子ども向けのタイトルが多いのか?」というテーマに対して、「価値観が枝分かれする前の層にヒットさせるほうが狙いやすいからだ」と言っていたのだが、なるほどな、と思った。

大人の趣味趣向は多様だが、子どものうちはまだそういった多様性は少ない。だからこそ、子どもの心に残ったものは宝物で、その子の将来の価値観の形成に大きく貢献するわけだ。非常に重要な時期だと言えるだろう。

僕の奥さんが教育関係者だからというのもあるが、児童向けの教育について考える機会がある。受験一辺倒で、勉強しかしないように強要することは、「価値観の形成」という意味で弊害はあるだろう、と思う。だからといって、教育内容のレベルをあえて下げる「ゆとり教育」がよかったというわけでもないが……。

子どもの世界は狭く、価値観も偏っているので、「押し広げる」ことが大事なのかな、と思う。

そう考えると、学校や塾での教育よりも広い意味での「コンテンツ」が担う役割は、自分が思っていた以上に大きいのかな、と思う。

「子どもに与えることを推奨するコンテンツ」の代表が児童文学などだろう。しかし、子どもは大人が推奨するコンテンツを一般的には嫌うものだ。むしろ、禁止されているものにこそ関心がむく。そこは、親心と子心が対立するところだろう。

(もっとも、子どもに本を読ませたいと思う親がどれぐらいいるのだろうか、という疑問はある。本を読まない親は、子どもに本を読ませたいと思うのだろうか。逆に、親が本好きだと、自動的に本好きの子どもに育つ確率は高いのでは、とも思う。)

僕らの世代だと、小学校のころに触れた大きなコンテンツはスーパーファミコンである。僕の場合、MOTHER2という糸井重里プロデュースのゲームに結構強い影響を受けていると思う。具体的に何がどうというわけではないのだけれど、長い時間遊んだし、かなり隅々まで探索したので。

子どもが遊ぶゲームではあるのだけれど、結構怖いシーンもある作品だった。たとえば、ハッピーハッピー教という宗教団体がいて、世界を青色に染めてやる、と家から木から何から何までが青く塗りつぶされている村があった。これはアメリカのKKKクー・クラックス・クランをモデルにしているらしい。

道を歩いていると、いきなり宗教団体に寄付を強要される
村民は、KKKを思わせる服装をしている

また、「マニマニのあくま」という像があり、これが人を狂わせ、欲望の狂気に陥れるものだったりとか。

人々に幻覚を見せ、欲望を増幅する黄金の像

児童文学でいうと、「ズッコケ三人組シリーズ」も読んでいた。基本的には平和な話が多かったのだけれど、ときどき怖い話もあった。

どこかの田舎が舞台で、ある神を祭っている。基本的には神様なので、村人の崇拝の対象なのだけれど、その村で起きるすべての悪いことや災厄が、その神のせいにされる……、そういう文化、という話もあった。これも結構怖くて、印象に残っている。

いい児童向けのコンテンツってどういうものかな、と思う。暴力や死、性的なものがないものがいいコンテンツではない。しかし、だからといって大人向けのコンテンツのように、負の側面を直接描写するのもよくない。

よいコンテンツというのは、そうした現実世界の負の要素を、児童向けのフォーマットに落とし込んで、絶妙に入れ込んであるように思う。そこはもう、作者の力量の世界だろう。

あんまりそういうことはしたくなくても、子どもの教育を思えば、ある種のコンテンツの検閲のようなものは必要なのかもしれない。完全に放置してしまい、頭の悪いyoutube動画ばかりを延々と見ているようでは、のちのち問題になりそうな気がする……。このあたりは、小さい子どもを持っている親にとっては、切実な問題なのかもしれないが。

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