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どういう記事が読まれるかを知っています

noteで1000本以上の記事を更新しているため、どういう記事を書けばどれぐらい読まれるか、事前にある程度の予測がつくようになった。noteではダッシュボードでスキ数やビュー数を見ることはできるが、数字の推移など、あまり分析に適したデータは提供されない。なので、毎朝書いた記事のスキ数とビュー数の記録をスプレッドシートにつけ続けている。

データを収集して読まれる記事を書くための材料にしているわけではなく、ただ単にデータを集めるのが好きなだけだ。日々変化していく数字を眺めているだけで見えてくる傾向はあり、それそのものが興味深い。

noteにやってくる前は、ライブドアブログというところでブログの更新を行っていた。内容としては、いまのnoteのエッセイと同じである。ごく最近まで、noteとライブドアブログの二本立てで更新を行っていたのだが、あまりライブドアブログのほうはアクセスがないため、今はそちらの更新を止め、noteのみの更新としている。

ここでまず興味深いのが、ウェブ媒体によって読まれる絶対数が全然違う、ということである。noteのほうが、ライブドアブログとは比較にならないほど読まれる。それだけ勢いのあるプラットフォームということだろうか。

読まれる全体数も違うのだが、好まれる記事のジャンルの傾向も微妙に違う。noteは、新規の読者も多いが、定期的に訪れてくれる固定読者の存在が大きい。その中でも、最大の関心事として「書くこと」があり、それに関する記事が圧倒的に読まれる傾向にある。

noteというのはブログサービスのようでいて、一種のSNSだと捉えている。新聞やテレビなどのように一方向の情報の伝達ではなく、読み手は書き手としても活躍したがっている。つまり、ここに来ている大半の人は、ただ読むだけではなく、「書くこと」も意識してここに来ているようだ。

もちろんただ読むだけのユーザもたくさんいるのだろうが、メディアの性質からしてそういう特徴がある、ということだ。なので、「自分はこういう風に記事を書いています」と紹介するような記事は非常にたくさん読まれる。

「書くこと」を推し進める書籍なども何度か紹介されているのを見たことがある。こういうものがとにかく刺さるのだろう。

反対に、これは絶対読まれないだろうな、という記事の予想もつくようになっている。「読まれる記事」を狙って当てにいくのは難しいが、「読まれない記事を予測する」のは比較的簡単であり、精度も高い。

代表的なものは、「タイトルの中に具体的な名詞を入れる」ことだろう。だいぶ昔に、タイトルに「遣唐使」というワードを入れたことがあるのだが、当時としてはびっくりするほど読まれなかった(時間が経っているので、今となってはそれなりに読まれてはいるが)。

理由は簡単で、遣唐使に興味のある人は限られ、大半の人々は素通りしていくためである。これは「遣唐使」という言葉が悪いのではなく、具体的なワード全般に言えることのようだ。

例えばこれが人気作品の「進撃の巨人」だったり、「ポケモン」だったりしても、あまり状況は変わらない。進撃の巨人やポケモンに興味のない人はスルーする。ただ、時期的にホットになっている作品、たとえば「スプラトゥーン」のようなワードを入れれば読まれやすいが、読者層は新規の層が中心となり、普段とは全然違ったものになる。僕は普段から読みに来てくれている人に向けて記事を書いているつもりなので、全くの初見の人がたくさん来る状況はあまり望んでいない。

記事目当てで来てくれた人は、該当の記事は読んでくれても、継続的な読者になってくれることはほとんどない。継続的な読者の確保を望んでいる人は、ホームランではなく、細かいヒット重ねるべき、といえるだろう。毎日来ることを習慣化してもらうのだ。

ポイントは、記事自体の内容は別に遣唐使の内容でもかまわない、という点だ。あくまでも、タイトルにそのワードを入れることがまずいのである。要は、いったん記事を開いてもらいさえすれば、あとは記事の内容そのもので勝負することができる。

固定読者であっても、まずタイトルの部分で人は読むかどうかを決めるため、タイトルで裾野をなるべく広くしておいた方が良い。そういうわけで、ちゃんと読まれるタイトルにするような工夫は結構している。

ありきたりなタイトルではつまらないので、少しでも「引っかかる」ようなタイトルというか、タイトルだけでは意味がわかりづらいような工夫はしている。タイトルを見ただけで、どういう記事かわかってしまうようなものはあまりよいタイトルとは言えない。

このあたりは非常に奥が深いので、まだ正解は見つからない。

また、内容が抽象的だったり、哲学的だったりする場合は、なかなかスキの数が伸びない。いったん記事を開かせることには成功しても、最後まで読みこなせなかったということだろうか。

しかし、書いてある内容の質が高ければ、数は少なくとも最後まで読み通している人はいるような実感がある。また、これは記事にもよるのだが、そういう「濃い記事」ほどコメントはつきやすい。

長年続けているため、感覚に基づくものではあるが、いろいろなテクニックがある。ただ、自分は別に商売でこれをやってるわけではないので、自分がそのとき考えていることを書く、というのが基本的な方針である。自分がそのとき考えていることを書く、というのがモチベーションを維持するために一番効くからである。

読まれる記事を書く時もたまたまだし、読まれない記事を書くときもたまたまである。ただ、長年データをとっているうちに、書いた記事が事前にどれくらい読まれるかがわかる、というだけのことだ。

しかし、ちょっとの工夫で、たくさん読まれるようになるのならば、それに越したことはない。少しでも参考になれば幸いである。


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