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映画を見続けると、どういう「いいこと」があるのか?

先日も書いたのだが、最近は毎週映画を見ている。といっても、映画館に通っているわけではなく、もっぱら家のテレビで見ている。いうまでもなく、最近はNetflixやAmazonプライムなどのサブスクサービスで、すでに見切れないほどのラインナップが揃っているので、「見るものがなくて困る」という事態にはならない。

毎週映画を見ることによって、なんとなく生活の質QOLがあがったような気がする。映画というのは特別な世界なので、「今週もなんとなく同じ日常で退屈だったな」みたいな倦怠感が少し減るのである。

なので、「映画を毎週見る」という行為は固定されているが、当然ながら毎週違う映画を見ているので、毎週新鮮な体験ができる、ということになる。「映画は娯楽の王様」と言われるが、確かにその通りだなと思う。

毎週映画を見ることのメリットはいくつもあるが、実際に毎週見て一番実感しているのは、「つまらない映画を見て、損をした気分になるリスク」が減る、ということだろう。どういうことかというと、毎週映画を見ているので、「これ、本当に面白いのかな?」と思っても、わりと気軽に見れるということだ。ハズレを引いても、それほど気にならないのである。

年に2・3回しか映画を見ない場合、せっかく見るのだからなるべく「感動」をしたいと意気込んでしまい、ハズレを引いてしまうことに慎重になってしまう、というのはあるだろう。同じ理屈で、僕は年間で120冊ほど本を読むため、「つまらない本を読む」リスクはあまり感じない。実際のところ、120冊も読めば、50冊ぐらいは「つまらない」と感じる本である。

映画を見ることそのものにも一定の効用があるように思う。昔から、「映画を見まくる人と、映画を全く見ない人では、人生にどういう違いがあるのか?」ということに関心がある。

映画というのは基本的にはフィクションなので、作られた物語である。なので、例えば医者が出てくる映画を見ても、医学の知識が得られるわけではない(そこで展開されている知識が医学的に正しい保証はない)。そういう妄想みたいなものを立て続けに見て、何かいいことがあるのだろうか?

評論家の岡田斗司夫が、以前、動画で、「ブルース・リー効果」について語っていた。ブルース・リーのカンフー映画を見ると、なんとなく強そうな気分になって、みんな映画館から出てくる。しかし当然のことながら、映画を見ただけで強くなれるわけがなく、「強くなった」と感じるのは勘違いである。実際に強くなるためには、いうまでもなく、「訓練する」というプロセスが必要だからである。

では、「映画を見る」行為はなんの意味もないのか? というと、そんなこともないように思う。

先日、「人間はなぜ夢を見るのか?」に対する面白い話を聞いた。なぜ生物は夢を見るのかはまだ解明されておらず、仮説段階らしいのだが、「夢」というのは、「将来抱くストレスの予行演習」の側面があるというのだ。

夢で、実際に自分に降りかかるストレスを疑似体験して、ストレス耐性をつけている、という仮説があるらしい。だから、例えば明日重要なプレゼンがある、というようなときにプレゼンの夢を見たりしてしまうのである。

また、よくトラウマ体験をしてPTSDになってしまった人が悪夢を見ることがあるが、悪夢を見れば見るほど、結果的にPTSDの症状が和らぐという研究結果があるのだとか。

夢にそういう効用があるのであれば、映画にも似たような効果は期待できないだろうか。つまり、映画に出てくる人物はたいてい、尋常ではない修羅場に追い込まれたりしているが、そういうことを映画を通じて疑似体験することで、ストレス耐性がつかないか、ということである。

日常生活で散々な目にあっても、それはたいていの場合、映画の主人公ほどではない。そう思うと、少しは耐えられるような気がしてはこないだろうか。

もっとも、人生は映画の主人公ほど煌びやかではないのだが、まあそこは自分である程度補正をするとして。「つまらない日常」にどう折り合いをつけるか、というところで、映画が果たす役割もある程度はあるのではないか、と思ったのである。

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