サイン要りますか?
サインを求められたことがある。
驚くべきことに、これは何度もある。書類に署名しろと言われたわけではなくて、自分の作品や、雑貨などに、僕のサインを書いてくれ、と頼まれたということだ。
当たり前のことだが、道端を歩いていて突然頼まれたわけではなく、特定の場所・時間にいた場合に限られる。例えば、イベントのスペースに出展して、自分で作ったCDなどの物販をしてる時、販売してるものにサインをしてくれ、と頼まれる。
僕は以前に、とあるメジャーアーティストに楽曲提供したことがあるのだが、そのアーティストのライブに遊びに行ったときに、そのファンの人たちにトラックメーカーとして周知されていたので、サインをしてくれ、と言ってくれる人がたくさんいた。CDなどではなく、バッグにサインしてくれ、などと言われたことすらある。
もちろん求められれば快く応じるものの、正直に言うと、サインをするのは苦手だ。相手が要望していることとはいえ、相手の所有物を汚してしまう、という感覚がどうしてもある。失敗でもしたら大変だ、という緊張感もある。
さらに問題として深刻なのは、相手の名前を書いてほしいと言われたときに、漢字が書けないことだ。あまりにも漢字が書けないので、もう開き直ってスマホで漢字を調べて書いたりする。
そんなやつのサインがよくも欲しいと思うものだな、と逆に感心すらしてしまう。
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一番驚いたのは、僕の音楽のリスナーだった人と普通に友達になり、ご飯を食べてるときに、忘れないうちにサインをしてくれ、と言われたことだ。普通に一緒にご飯を食べるぐらい親しいやつのサインが欲しいと思うのか、と驚いた。
サイン入りのCDや本ならば、本人と知り合いでなくてもいくらでも手に入れることができるが、よっぽど親しくないと食事はしない。なので、その感覚がどうも理解できなかった。
僕はあまり人のサインを欲しいと思ったことがないから、文化としてなじまないのだろう。少し穿った見方をすれば、サインを欲しがる人と言うのは、とにかく誰でもいいからちょっと有名で珍しいやつのサインが欲しい、という感覚なのではないだろうか(であれば僕を選定するのは全くの見当はずれということになるが)。
芸能人のサインがたくさん飾ってある飲食店などをたまに見かけるが、なんであんなことをするのかな、といつも思う。
大ファンでたまらなくて、その人のことを四六時中考えているという人が、サインを書いてもらって、金庫にでもしまって大事にしている、と言うのであればまだわからなくもない。しかし、とにかく有名そうな奴が来たらサインをもらって、店の中に飾っておき、箔付けしよう、という神経が僕にはよくわからない(商売でやってる、といえばそれまでだが、ちょっと下品だと思う、というのが正直な感想)。
もっとも、芸能人にとってはサインを書くのも仕事の一部に含まれるだろうから、せがまれれば誰でも書くだろうし、そんなに自慢するほどのことかな、と思う。
サイン会と言うのもあるが、それも基本的にはそこに行けばサインがもらえるものであり、あまり希少性のあるものでは無いのかな、と思う。いまだと、メルカリなんかでも気軽に買えるだろう。
もらいに行けばくれるものをさも珍しいものかのように自慢する、という少し僕の理解を超えている。特にその有名人と話す内容がないから、とりあえずその人に会った証明としてサインが欲しい、そんな感じなのかもしれない。
自分が会いたかった有名人と接する時間なんてごく限られているのだから、サインなどもらわずに一秒でも多く話したほうが有意義なのではないか、と僕などは思うのだが。
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もしかしたらスタンプラリーとか、ポケモンGOをやってるような感覚なのかもしれない(どっちもやったことないけど)。
珍しいやつにあったらとりあえず会ったという証明を収集しておく。それをたまに仲間内で自慢しあう。まあ、微笑ましいと言えば微笑ましいことではある。
昔、作家の森博嗣が、「サイン会」ではなく「名刺交換会」をやっていたらしい。これならば、相手の名前や趣味などもわかるし、僕もいいな、と思う。サインより名刺を交換する、というのもいいかもしれない。
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