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障害というほどではないけれど、ちょっとした障害

世の中には、「漢字が全然覚えられない」人がいる、というのを耳にすることがある。

「進撃の巨人」の作者である諫山創は、主人公が所属する組織である「調査兵団」という組織の漢字を、何百回と書いているのに覚えられないのだという。以前、テレビのドキュメンタリーで見たのだが、その時点で連載開始から10年以上が経過していたにもかかわらず、確かにスマホで調べながら書いていた。

僕も確かに漢字は全然書けないほうではあるが、どちらかというと手書きで文字を書く機会が減っているからで、そこまで漢字が書けないわけではない、と思う。漢字が書けない障害は、書字障害ディスグラフィアというらしい。

しかし、自分でもかなり一般的に見たら「劣る」と自覚していることがある。それらは、たぶん専門家が見たらなんらかの名前をつけてくれるのかもしれないけれど、一般的にはあまり名前がついていないような気がする。

たとえば、数字にまつわるものがあまり覚えられない。特にひどいのが誕生日で、他人の誕生日がほぼ全く覚えられない。

かろうじて自分の誕生日は覚えており、奥さんの誕生日は自分の誕生日の月と日に1ずつ足した日なので覚えているのだが、それは「覚えている」というより、計算して導き出している感が強い。

そういったやり方で導き出せない、ほかの家族の誕生日が結構壊滅的である。「なんとなく、このぐらいの季節」ぐらいしかわからない。

誕生日は、ほぼ全員がランダムであり、なんにも紐づけられていない数字なので、なぜそんなに気軽に覚えられるのかがわからない。たぶん、語呂合わせでも考えない限り、覚えられないような気がしている。

あと、これは最近になって気づいたことなのだが、どうも自分は右と左がわからないようなのだ。なんというか、時間をかけたらわかるのだが、とっさにはどちらがどちらか反応できない。

たとえば、「右にある本をとって」とか、「ちょっと左にずれて」みたいなことをいきなり言われると、指示通りに動ける確率は50%、つまりわからない、ということになる。

自分の感覚だが、「右」と「左」を認識するためには、最低でも2〜3秒は必要な気がする。利き手は右なので、利き手を間違えたりすることはないのだが……。

一応、「左右盲」「左右失認」という名前はついているようだ。

これらは、障害というほどの障害ではないものの、たまに日常生活で軽微な支障をきたすので、ちょっとした障害ではある。人間の能力として、平均よりも低い部分、と言い換えてもいいだろうか。長いこと生きていくと、だんだんそういうのがわかってくる。

奥さんと暮らしはじめて、はじめてわかることというのは結構多い。それまでもなんとなく薄々感じていたことを言語化してくれるというか。


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