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「卒業式」としてのエヴァンゲリオン

奥さんとシン・エヴァンゲリオンを見てきた記事の続き。

封切られたのが月曜日で、その次の週末となる土曜日の公演を見にいった。TOHOシネマズのウェブ予約システムの仕組み上、二日前から予約することが可能なのだけれど、水曜日の深夜(木曜日の午前零時)にパソコンの前でスタンバイして、日付が変わると同時に予約を試みた。

すると、ほんの数十秒ぐらいしか経っていないはずなのに、すさまじい勢いで予約が埋まっていって、なんだか怖かった。どうも、みんな考えていることは同じだったらしい。

月曜日から公開されてはいるものの、やはり一番混むのは、最初の週末になるようだ。
 
結局、七時すぎの早い回しかとることができず、早朝の歌舞伎町に二人で見にいった。いまは緊急事態宣言下ということもあり、コンビニですらも時短営業をしている。劇場の近くでやっていたコンビニで朝食を買って、映画館の前の列に並んだ。

いまどき、映画を見るために列に並ぶというのもなかなか新鮮な体験だった。
 
自分たちが見るスクリーン以外も、周囲はエヴァを上映しているスクリーンばかりだった。自分たちの見るスクリーンも、あれだけのスピードで客席が埋まっただけはあって、ほぼ満席に近かった。こういうのは「お祭り」というか、波があるので、やはりこの時間に見に来たのは正解だなと思った。
 
そして上映。見た。新宿で買い物をして、家に帰った。家に帰ってからいろんな人の意見やら何やらをチェックしたのだけれど、いろんな人の共通の感想が「これはエヴァの卒業式だ」という言葉だった。

エヴァという作品は96年のテレビアニメからはじまったのだけれど、大風呂敷を広げたわりに、というか、大風呂敷を広げたおかげで、ストーリー的にちゃんとした完結に至らず、以降ファンは「ちゃんとした終わり」を求めて彷徨う羽目になった。

しかし、やっと、2021年という時代に突入して、完結を見たわけだ。いや、映画の内容自体は意味不明というか、基本的に説明不足なので何をやっているのかよくわからず、これを「ちゃんとした終わり」としていいのかどうかははなはだ疑問ではあるのだけれど、終わりは終わりだ。ここからみんな卒業していくんだ、という終わり方だった。


 
だが、面白いのは、本番は「エヴァを見てから」だということだ。普通にこれまでの全作品を何度も見ている僕ですら、さっぱり意味がわからない内容だったため、YouTubeでは考察動画が乱立して、活況を呈していた。

YouTubeというのはこういったときのフォーマットとしてはまさに最適で、もちろん活字で出版される書籍などよりも情報が早い。そして、いくつもあるブログなどのサービスと違って、単一のサービスなので、同系統の動画をサーフィンすることができる。

いったんエヴァ関連の動画を見始めると、「エヴァの考察」というコンテンツ動画がまるで論文が投稿されるようにジャンジャン流れ込んでくる。たぶん、考察をしている人も他の人の動画を見たりして参考にしているとは思うのだが、自分ひとりが一回見ただけで考えるよりもはるかに深いレベルで考察をしている。よくそんなことを思いつくな、と感心するしかない。
 
面白いのは、本編での情報が不足しているため、みんな完全に証拠があって論じているとは限らないというところだ。要するに、考察でありながら主観が多く入り混じっているのだけれど、それが逆に「仮説」という深みをもたらしているようで面白かった。


 
単一の映画としては明らかに説明不足で、それは商品としてどうなんだというレベルですらあるのだが、こうやっていろんな人が考察を重ねて、その穴を埋めていく行為というのは面白いと思った。もちろん意図しているわけでは決してないのだろうけれど、YouTubeが隆盛を極めている今の状況にもすごくマッチしているというか、「情報が不足していること自体がエンターテイメント」なのだな、と思えた。
 
そろそろ僕は転職活動が終わり、新しい会社で働きはじめるのだけれど、その無職期間の最後に、プレゼントをもらったような気分になりました。
 
ありがとう、そしてさようなら、エヴァンゲリオン。 

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