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散歩、ふたたび

法事のため数日間実家に帰っていたのだけれど、なんだか調子がおかしくなった。僕はもともと小児喘息持ちで、大人になってからはほぼ発症していなかったのだけれど、たまに乾燥すると気管支がおかしくなることがある。

喘息というのはつまりアレルギー反応のようなもので、どうも花粉に反応しているらしいのだが、詳細は謎である。いずれにしても、調子がおかしくなってしまったので、今まで築いてきた日々のルーティンが若干崩れた。
 
夜、仕事が終わったら二十分ほどかけて、四キロ弱を走っていたのだけれど、どうもこれができそうにない。だから仕方なく、ウォーキングに切り替えた。

ウォーキングをすると言ったら奥さんも賛同してくれて、一緒に歩いたりもした。「散歩ルート計測生成機」というマニアックなアプリがあり、それを使って散歩ルートを生成してから歩いた。

このアプリは、指定した距離の歩行ルートをランダムに生成してくれるというアプリで、近所であっても毎回違う散歩ルートを提示してくれる。意外と徒歩圏内でも歩いたことのない場所は多く、いつも新鮮な驚きを与えてくれる。


 
久々に歩いたらなんだか歩くのが楽しくなってしまい、先日、東京駅から上野まで歩いた。東京から日本橋を抜け、秋葉原を通り、御徒町を過ぎて上野に至る。こう書くと結構遠そうだが、実際歩いてみるとこれで四キロぐらいだから、そんなに大したことはない。
 
走ると、足はだるいし、息もあがるので、ほぼ走ることにしか集中できない。実際、走っている人たちがいったい何を考えているのかはわからないが、少なくとも自分は走っているときは、走る以外のことは考えることができない。

一方、ウォーキングはそんなに身体的な負荷が高くないので、いろんなことを考えることができる。一時間なら一時間、ウォーキングのために時間を使うと、実にいろんなことを考えることができる。

一時間、スマホやパソコンをいじらずに過ごすことなどほぼ皆無なので、実に貴重な時間である。気分もすっきりするし。
 
唯一のネックは、時間がかかりすぎるということだろうか。僕の歩行ペースは五キロ一時間ぐらいなので、ある程度のまとまった距離を歩こうと思えば、最低でも一時間は必要になる。まあ、その時間を思考の時間に充てていると思えば、あながちロスというわけでもないのだけれど……。

しかし、時間に切羽詰まっているときはできそうにないのが残念だ。


 
走っていると当然ながら心拍数は上がるし、体も痛くなるので、人は本来走るようにはできてないのだろうな、と思う。狩猟採集時代は、必要なときには走ったかもしれないが、多くの場合は、当然ながら歩いたはずだ。歩いたほうが気分がすっきりするのも、そっちのほうが自然だからかもしれない。

徒歩で移動をすることで、気分がかなり切り替わる、というのも大きい。自宅を出て、自宅に戻ってくるだけなのに、不思議と全く意識が変わるのである。

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