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やりたくないことをやるからこそ、やりたいことが生まれるのではないか

「無職の友人に『毎日仕事してないんだから、相当時間余るでしょ?』と聞いたら、『1日6時間くらい不安でいっぱいだから、実際にはそれほど時間がない』」と返された、という記事をネットで見た。

数年にわたって無職になったことはないが、何ヶ月か、仕事もなにもしていない状態にはなったことがある。確かに仕事をしていない状態ではお金を使うわけにもいかないので、生活は必然的に小規模なものになる。さらに、将来どうなるんだろうという不安が募って、行動も起こしにくくなるだろう。そう考えると、無職も楽なもんじゃないな、と。

最近は仕事が忙しくて、家に帰るのが夜9時を過ぎることが多い。もちろんもっと遅くまで働いている人もいるのだろうが、僕は夜10時に寝る生活リズムなので、帰宅が9時を過ぎるとすぐに寝る時間になってしまう。

通勤時間をほぼ100%読書に当てることで読書時間を確保しているが、それ以外の時間では平日は読書ができない。しかし、休日は比較的自由な時間が多いものの、夕方になると手持ち無沙汰になってしまうことが多い。

時間自体はあるのだが、何かやる気が出ないというか、気力がわかない状態になってしまうのだ。

最近思うのは、生きるうえで一番大事なのは「気力」なのでは、ということだ。そしてその気力を支えるのは「体力」だ、ということ。

体力がないと気力も同時になくなる。仕事ですべてのエネルギーを使い果たしてしまうと、帰宅してから何か好きなことをしようという気力も湧いてこない。これは当然のことだが、ほかの要因で気力が削がれることがあるのかも。何か行動を起こさなきゃという焦りで体が硬直して、思うように自分のやりたいことができない状態もある。

逆説的だが、「やりたくないことをやるからこそ、やりたいことが生まれるのではないか」と思う。仕事を通じていろいろな人と関わって、やりたくないことを続けていると、逆に仕事の楽しい面や興味深い面が見えてくることがある。

平日は物理的に使える時間が少ないのでやりたいことがあまりできないが、休日は時間があるかわりにずっと自由なので、逆にモチベーションに火がつかないことが多い。この中間があればちょうどいいのだが。それがいわゆる「定時退社」ということなのだろうか。

あるいは、ずっとやる気がなくて続けていたことが積み重なって奥深さがわかり、面白さに気づくこともあるだろう。気力というのは何かを行動することで消費されるが、同時に何かをすることで培われるものでもあるのではないかと思う。

30歳を超えてくると、自分だけのために生きるのはそれはそれで飽き飽きしてくる面がある。若いうちは自分の欲望のために自分の時間を使うのが最高と思いがちだが、意外と早いうちに飽きてしまうだろう。

自分の時間やお金を他人のために使うことの方が、実は気持ち良く感じることがあるのだ。自分の経験や能力を活かせるのならなお良い。それが「気力」につながってくるのかも。

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