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天才と凡夫の指し手はどれぐらい違うのか?

将棋を指すと肌感覚としてよくわかるのだが、将棋AIが将棋界に与えた影響の大きさは本当にすごい。これによって、初心者は将棋の勉強がやりやすくなったし、プロの将棋の観戦も非常にしやすくなった。

Abemaなどの将棋中継をみていると、いまの戦況がAIによって常に評価されている。そのとき、AIは「手を読んで」、形勢を判断するのだけれど、みていると、ほんの数秒で1億手、2億手を検討してしまう。

気づくとあっというまに10億、100億と読み手の数が増えていき、それだけの手数が検討されたのだ、ということがわかる。いまでは普通にみられるこれらの光景も、ちょっと前の常識では考えられないことではあったが、いつのまにか当たり前になってしまった。

さて、将棋AIは一瞬でそれだけの数を読んでしまうのだが、では、人間には想像もできないような「神の一手」が毎度炸裂しているのかというと、実はそんなことはない。僕はまだ将棋をはじめて半年ぐらいの初心者ではあるが、AIと全く同じ手を指すことも結構ある。

これが「すごいこと」なのか、ということについて少し考えてみたい。

将棋の局面は普通の人が想像するよりもはるかに奥深く、可能性としては10の220乗という、ほとんど無限に近い可能性を秘めている。しかし、一局の将棋の中では、「こういう風になったらこう指すしかないよね」という「ルートを決まっている状況」が頻繁に発生する。

シンプルな話だと、相手に王手をかけられたら、避けるか、防ぐかの大きく2つの行動をとらねばならない。多くの場合、選択肢は5つぐらいだったりするので、そういう状況になればAIと一致することもあるよね、という話である。

たまにならAIと一致しても「よくあること」でしかないが、しかし、AIと同じ手を指し続ける、というのはこれは尋常なことではない。たとえば、30~40手もAIと同じ手が連続したとしたら、プロ相手でもいい勝負になるかもしれない(実際やったことはないのでわからないが)。

つまり、「最善手を選び続ける」ことが将棋においては重要であり、とても難しいことなのだ。

一局の将棋の中では、「ここが勝負の分かれ道」という分岐点のような局面が何度かあり、プロの対局では、そこで1時間とか2時間とか、とにかく膨大な時間をかけて手を読み、検討を続ける。そういう場面で指し間違えると、あっというまに形勢を崩してしまったりするので、とても重要な場面といえる。

考えてみると、これは少し人生に似ている。日々の暮らしの中で、「良い手」は比較的わかりやすく、簡単に選べるし、淡々と同じような日常が続いていく。優秀な人もそうでない人も、日常的には指し手にそれほど大きな差はない。

しかし、ときどき現れる分岐点や、日々のなかの何気ない習慣などによって、大きく差がついていく。でも、差がついてから、「何がおかしかったんだろう?」と振り返ると、実はほとんどは変わらなかった、というようなことだ。

イチローも、メッシも、普段の練習風景を見ていたら、他の選手とほとんど変わらないのではないかと思う。じゃあ何が優れているのか? と言えば、元から備わっている才能に加え、「良い手を指し続けている」ということになるのだろう。

「神の一手」「起死回生の一手」そういった劇的な一手は確かに存在するが、大半の手は凡庸であり、素人であっても同じ手を指す状況も数多くある。

本当にすごい人の真髄は、「どういう状況でも間違わない」、「間違わない選択を積み重ねる」、この2つを兼ね備えているんだろうな、と。

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