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「こころを鍛える」ことと、貧困問題について

最近、「こころを鍛える」ことについて考えることがある。

いまの自分はまったく問題ないのだが、精神的に不調になってしまう人というのは世の中に一定数いるもので、そういう人がもし身近にいたら、ということをたまに考える。

いうまでもなく、肉体は鍛えることができる。例えば筋トレがこれに該当するだろう。トレーニングによって筋肉に負荷を与え、細胞を破壊する。そうすると、再生するときに以前よりも強くなって再生する。それを繰り返すことによって、より強く、肥大した筋肉を得ることができる、というわけだ。

精神力も、この筋トレと同じように、鍛えることはできないのだろうか。これまでに何冊も、精神病にかかってしまった人の本を読んだことがある。そのとき得られた知見としては、「うつ病」と、その人自身がもつ持ち前の「明るさ」はあまり関係がない、ということだ。明るくて社交的な人でもうつにはかかってしまう。

ポイントは「ストレス」で、非常に強いストレスにさらされ続けると、精神がおかしくなってしまうようだ。また、労働時間が不規則な仕事なども危険らしい。たとえば、ニュースキャスターや記者などは、けっこうそういったリスクの高い仕事だといえる。

うつ状態になると、一日中、動くことができなくなるらしい。何をするというわけでもなく、一日中ぼーっとしているのだという。これは機能的には、過剰にかかってしまったストレス処理をしている、とみるべきなのだろうか。ストレスがかかりすぎて、脳がクラッシュしてしまっている状態のようだ。

とはいえ、世の中には精神的にタフな人がいることは確かだから、何か乗り越える方法はあるはずである。一番シンプルなのが、「場数を踏む」ということだろう。大企業の社長の椅子に座る人は日々重大な決断を迫られ、ものすごいストレスだと思うが、係長、課長、部長、取締役と、若いころから訓練を重ねてその地位に辿り着いたのだから、耐えられる。実際、分不相応にスピード昇進してしまった人は苦労するらしい。

最近、貧困関連の本を読んだ。

貧困問題はなかなか根深いが、バリエーションは結構限られるのでは、と思っていた。女性だと、お金がなくなり、水商売や風俗産業に「落ちて」しまうのが最終到達点だと思われがちだが、実際にはもっといろんなパターンがあるということに気づかされる。

本書を読んでなかなか悲惨だと思ったのは、父親に奨学金を1千万円近く借りさせられ、そのお金を父親が使い込んでいたというものだ。保育士になるのが夢だったが、仮になれたとしても賃金が低く、とても自分名義の借金が返せそうにないので、数年後に自殺を考えている、ということだった。

その状況であれば、自己破産をするとか、父親を訴訟するとか、いろいろな手がありそうにも思えるのだが、その余裕はなく、ただ諦観しているといった感じである。見た目は普通でも、精神状態としては、ある種の精神病に罹患しているに近い状況である。

人との繋がりが薄く、貧困状態に陥ると、どんどんとれる選択肢が奪われていき、最終的には病んでしまうか、自殺してしまう。水商売や風俗産業で稼ぐこともできるが、長くは続かないし、キャリアの「その先」がないので、結局は貧困から逃れることはできない。まるで闇金ウシジマくんみたいな世界観だが、事実は小説(漫画)より奇なり、というやつである。

ひとつ考えたのは、自分で自分の状態というのはなかなかわからないのでは、ということだ。肉体的に無理をすれば自分でもわかるけれど、精神的な無理はわかりにくい。かといって、まったく負荷をかけないと、精神的に成長することもない。

一番いいのは、周囲の人に判断してもらうことだろうか。自分の場合、自分が元気がないと奥さんが気づいてくれるし、逆に、奥さんの元気がないときは自分はわかる。やはり、こういう人間関係が最終的な防衛ラインなんだろうな、という気もする。

以前からの持論ではあるのだが、精神的に強くなるために「知識」をもつこともかなり有効である。自己破産や生活保護などの最低限のセーフティネットの知識をもっておくだけで、だいぶ精神的に楽になることだろう。

直接はそういった生活に関連した知識でなくとも、たとえば宇宙の広さについて勉強すれば、人間社会なんてどうでもよくなってくる、ということもある。世界にはいろんな生き物がいる中で、同じ人類、しかも日本人なんて兄弟みたいなものじゃないか、などとスケールのでかいことを考えると、すべてが些末に思える、ということもある。

要は、「過剰なストレス」を感じすぎないのが大事、ということになる。「こうしなければ」と思い込みすぎないようにしたい。


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