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砂糖を食べて、食欲を失うこと

フォロワーさんの「あやめし」さんの記事を読んだ。

SNSに時間を日々奪われていることを憂いている。それについての、おそらくは自戒をこめたような内容の記事である。

SNS断ちをしたい、デジタルデトックスしたい、と思っている現代人は少なくないようだ。ネットを徘徊していると、SNSに時間を使いすぎないようにしたい、と宣言している人をよく見かける。そういったものに時間を奪われないようにするのは、人々にとっての課題であるらしい。

SNSを見て、「時間を無駄にした」「時間が奪われた」と感じることがそれを宣言する動機となっているようだ。それについては概ね同意である。

僕はこうしてnoteを書いてはいるが、Twitterはほぼ全くやらなくなったし、LINEだって必要な連絡以外には使わない。が、自分にとって落とし穴なのはYouTubeで、気付くとYouTubeをダラダラと見続けていることが多い。

平日は忙しいので心配はないが、休日になり、お昼を食べたあとの午後あたりの時間がちょっと危険である。YouTubeがおすすめしてくるままに動画を見続け、気づけば夕方、ということがしばしばあるのだ。

ポイントは、それらの時間の使い方が「有意義だった」と満足するものではなく、「時間を無駄にしてしまった」という感情を生む点だろう。コンビニでつい甘いお菓子を買ってしまうような感じで、不本意な時間の使い方なのだ。

自分が本当にそれを欲していたわけではない。意思に反した行動なのである。

僕がそういった感情を喚起しないためにやっていることは、やはり読書である。自分の場合、休日であれば一時間単位でタイマーをつけて、読書中はスマホに触らないと決める。何が起きてもその間はスマホに触らない、と決めておくことが大事だ。

できれば毎日が理想だが、週に一度ぐらいはこういうまとまった時間を作らないと、スッキリしないので、それなりに努力して時間を捻出したりする。

大人になればなるほど「集中力」がなくなってきているように思う。学生時代のほうが、勉強などで長時間集中して取り組むことを求められるため、いまよりは集中力があった気がするのだが、大人になると、タスクも細切れなので、長時間にわたって何かに取り組む、という機会は減っているものである。結果、集中力も衰えているのではないだろうか。

SNSなどで細切れに情報を摂取するのは、もはや「コンビニのお菓子」を超えて、「砂糖を食べている」に近い状態かな、ということも思ったりする。

SNSそのものに有害性は少なく、別に一日じゅう見続けたからといって、これといった害があるわけではない。しかし、そうやって砂糖を食べてしまうことによって、不必要なカロリーを摂取してしまうだけでなく、変に欲求が満たされてしまい、本来あったはずの食欲がなくなる、という効果もあるように思う。

本当に食べたいものを食べるとなると、それなりに計画とお金が必要になるはずだ。たとえば、人気のスイーツなどになると、高いお金を払ったり、長時間列に並んだり、遠出をする必要があるなど、それなりの対価コストを払うものである。

砂糖を食べ、砂糖でいいや、となってしまうと、そうやってそれなりに頑張って手に入れるものに対しても欲望が薄くなってしまう。それが一番問題だと思う。そもそも、砂糖なんか食べたくないのに、だ。

SNSを見ることはもちろん問題ないとは思うのだけれど、一定の時間を決めてやる、という感じにしたほうがいいのかもしれない。


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