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成果を出すのが正義ですか?

個人が書いた文章をインターネットで読んでいると、いろんな「仕事論」を目にする。

よく見かけるのが、「成果を出すことが何よりも大事」という論調だ。それについて、少し普段から考えていることを書いてみたい。
 
仕事で成果を出すことは本当に大事なのだろうか。そもそも、仕事における「成果」ってなんだ? というのが前提としてある。

例えば、何かを販売する会社で、営業マンの成績を壁に張り出したり、表彰したりすることはあるだろう。また、営業所単位で売り上げや利益を競い合っている会社もあるかもしれない。

しかし、そこでしっかりとした数字を出すことが本当に「成果」なのかどうか。例えば、コンビニだったら、売り上げを伸ばすのは経営者の努力によるところももちろんあるのだろうけれど、多くは立地で決まるという。だいたい売っている商品は、品揃えに差はあれどだいたい似たようなものを売っているのだから、差別化を図るのは難しいだろう。

それで、立地のいい店舗は利益が出て、そうでないところは利益が出ないわけだが、本当にそれで「勝ち組・負け組」と分類してもいいのだろうか、そうすることに異議はあるのだろうか、と。


 
先日、将棋の藤井聡太二冠が、素晴らしい結果を出しつつも、本人はさほど結果にこだわっていなさそうだ、というのが話題になっていた。インタビュアーに、「なぜさほど結果にこだわらないのですか?」と質問されていたのだが、そのときの本人の答えが秀逸だった。

曰く、「結果にこだわると、結果が出なくなったときにモチベーションが大きく削がれる。内容を追求していくことで、そのジレンマから解放される」とのことだった。
 
それと似たことを自分も考えている。成果を出すことはとても大事なのだけれど、成果にこだわると、肝心なことを見逃す。成果というのは、実は運や条件によるところが大きい。たまたま運がよかったとか、たまたま好条件が重なった、みたいなことがよくあるのだ。

うまく物事が運ばないとき、あるいは、なんらかのトラブルが発生したときに、「じゃあ、どうすればいいのか?」と頭を働かせることが最も重要であり、そうやって柔軟に対応できる能力、というのが一番大事なのではないかと思う。
 
転職活動の面接でも、成果そのものよりもその中身が問われることが多いように思う。たとえば、「営業成績全社トップで表彰されました」と言われても、外部からそれを確認することは難しいし、やっぱり面接においてその人の話しぶりというのを見ると思う。

もしそれで、あまりにもギャップに感じるようなら、もっと中身について追求していくだろう。どうやってトップを取ったんですか? という質問に切り替わる。もちろん、これが成績が鳴かず飛ばずだった場合でも同じだ。単純に数字だけを見て判断する、ということは少ないのではないかと思う。


 
成果を出しても評価されない人、というのは確実に存在する。そういう人は、もっと成果を出さなければいけないと自分を追い込んだり、ひどい人だと「自分よりも成績が低いのにあいつが評価されているので、これは陰謀だ」などと陰謀論に走ったりする。数字だけを見ていると本質を見誤る好例だろう。
 
成果は大事だけれど、成果はあとからついてくるものだという感覚を大事にしたい。

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