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世界の解像度を上げていく

Twitterで、家の前の道端に生えている雑草の名前をチョークで書いている人のツイートが目に入った。

植物学者なのかどうかは知らないが、とにかく植物に詳しい人のようだ。道端に何気なく生えている雑草も、もちろん雑草という種類ではなく、それぞれにちゃんと名前がついている。それについて研究している人もいるだろう。

普段は意識することすらないけれど、そこにあるものだということがきちんと認識できれば、知識として蓄えることができる。
 
昔読んでいた漫画で、中学生のキャラクターが、毎日が似たような日常で、ここから先も似たような日々が連続していくはずなので、人生なんて面白くもなんともないわ、ということを呟いているシーンがあった。

ずいぶん昔に読んだ部分だけれど、妙に印象に残っているのは、自分も似たようなことを当時は思っていたからだろう。なんとなく学校に行って、なんとなく勉強して、なんとなく歳をとっていく。人生なんて同じことの繰り返しで、面白みなんてほとんどないと思っていた。

でも、自分がこれだけ平和に暮らしていけるのは、それを成立させている仕組みがあるからに他ならない。そういったことを知っていくということは、現実の解像度を上げていく行為なのではないかと思った。

自然科学を研究する科学者は、現実世界で起こっている事象を分析して、法則性を見出していく。

自然現象を分析することに、生きていくうえで直接的に意味があるのかと問われれば、おそらくないだろう。ニュートン力学を理解していなくても、ものを投げたり、ハンマーで釘を打ったりすることはできる。

つまり、人間が意識していようがいまいが、無関係に世界はすでにそこにあるのだから、それをわざわざ手間ひまをかけて解析していく必要はない、と言える。

スマホを利用するのに、スマホの内部構造や、仕組みまで理解する必要はないのと同じことだ。
 
アインシュタインの相対性理論だって、それが発見されるまでは、それがそこにあると言うことすら認識されていなかった。

ただ、光と時間と空間の関係を、それまでの人類はぼんやりとしか理解していなかった。アインシュタインは理論によってそれをクリアにしただけだ。

世界がつまらないと感じたのなら。

それはもしかしたら、あなたがぼんやりとしか世界を見ていないからなのかもしれない。

どういう成り立ちで世界が成り立っているのかを理解していくことで、世界の面白みがもう少しわかるようになるのかも。
 
勉強をする、教養を身につけるというのは、そういうことなのかもしれない。

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