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なぜそれを作ったのか?

現在絶賛公開中の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見てきた。一応、2000年に入ってから制作された「エヴァンゲリヲン新劇場版」の最終作ということになっているのだけど、タイトルが「新劇場版」になってなかったり、表記が「エヴァンゲリオン」に戻ってたりとタイトルだけでも謎が多い。まあそれはさておき。
 
本来は昨年公開予定だったのが、コロナ禍における緊急事態宣言を受けて延期していた。とはいえ、制作が遅れに遅れ延期しまくってたのに対し、一応は完成しているっぽかったから、ファンとしてはあとは社会の準備が整うだけ、と思って前向きに期待していた。

ついに公開が3月に決まったとき、「ほんとに?」と疑ったけれど、本当に公開されたので、奥さんと見に行ってきた。
 
ネタバレになるので詳細までは書かないけれど、見た直後の感想は、「全く意味がわからない」ということだった。映像としては綺麗だし、部分部分でのストーリーや、登場人物が多すぎて追いつかないといったことはなく、そういった「複雑さ」はなかった。

ただ、専門用語や舞台設定が説明不足なので、「知らないプロジェクトの会議に紛れ込んでしまった感」は若干あった。この表現は、なんとなく思いついたものだけれど、けっこう的確なのではないかと思う。
 
SFとファンタジーの違いについて考えていた。SFというのは、「一応、科学の体裁をとったフィクション」ということだ。一方で、ファンタジーは、炎を出す人間がいたり、空を飛ぶドラゴンがいたり、「それは物理学的にどうなってるの?」といったものでも許される。

SFの場合は、「どういう原理でそれが実現しているのか」という一応の説明と、「それがあることでどういう社会になるのか」といったことを想定しなければならない。炎を出したり、ビルを持ち上げたりできる人間がいてもいいが、そういう人間が当たり前にいる社会とはどういうものなのか、を考えなければならない。


 
エヴァはSFかファンタジーかでいうと、ファンタジーの部類に入るのだろう。最初のほうでこそ、エヴァは電力駆動するだとか、使徒を迎撃する要塞として第三新東京市があるとか、いろいろと説明や設定があり、SFっぽさはあったのだけれど、途中から神話的な、えらく抽象的な話に突入していく。

難解といえば難解なのだけれど、その難解さはひとえに「説明不足」からくるものであり、解説動画などを見ていくと、わりと筋の通った作品である、ということがなんとなくわかる。まあ、それでもやっぱりわからないものも多いけれど。
 
ただ、舞台設定や世界観についてああだこうだ言っていても、それは作品世界の設定を読み解くだけにすぎないから、製作者の意図を再現する行為であったとしても、それを超える行為ではないと思う。やっぱり、作品を読み解くときに鍵となるのは、「なぜ作者はそれを作ろうと思ったのか?」という部分だと思う。
 
エヴァンゲリオンを見る時、総監督である庵野秀明の私小説だと思うとしっくりくる部分はある。庵野秀明は、前作の「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を制作してから、うつ病になってしまったらしい。そこから立ち直り、「シン・ゴジラ」を制作し、回復したのだろう。

「シン・エヴァ」とは、じつは「Q」から立ち直った庵野秀明自身の物語なのかもしれない。制作しながら、その「制作している作者自身も自己投影される映画」ってなんだかすさまじいな、と思うのだが。


 
DVDやブルーレイが出てくるタイミングはまだちょっと先だとは思うけれど、出たらいち早く買って、いろんな場面で一時停止したり巻き戻したりしながら注意深く見ていこうと思う。いろんな意見はあるけれど、良い作品でした。

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