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「リスキリング」は必要か?

最近の流行りワードとして、「リスキリング(reskilling)」というものがある。一種のバズワードと言っていいかもしれない。

「re」が頭についているため、「学びなおし」と訳されることがあるのだが、これはなんか誤訳なのかな、という気がする。

英語でリスキリングを説明しているページを参照すると、以下のような感じの説明がある。

So, what is reskilling? Unlike upskilling, which focuses on adding to an existing skill set within a role (for instance, due to new technology), reskilling refers to the process of learning new skills needed to do an entirely different job.

では、リスキリングとは何か。いまの役割のスキルに加えて習得していくアップスキルと異なり(例えば新しい技術の登場によって)、リスキリングとは、全く別の仕事をするために必要な新しいスキルを習得するプロセスを指す。
*当方にて翻訳

大学などに入って勉強し直す、というニュアンスではなく、新しくスキルを身につけて新しい仕事にチャレンジする、という感じである。

自己研鑽的な意味で「学びなおす」ことを考える場合、比較的取り掛かりやすいのが「プログラミング」と「語学」なのではないか、と思っている。学ぶことが必要だからといって、いきなり哲学や宗教を選択する人はあまりいないだろう。

プログラミングと語学は、わりと汎用性があるし、どういう人が身に着けてもそれなりに応用が利くので、とっつきやすく見えるのだろう。

しかし、とっつきやすいからこそ、これをやっている人は死ぬほどいる。また、プログラミングも語学も、モノにするにはそれなりに時間がかかるが、ただ学んで終わりだと意味がない、それを生かさなければ身につけたとは言わない、というのはよく聞く。しかし、それを「生かす」というのもなかなか大変な話である。

「持っている資源を有効に活用する」というのはもっともな話なのだが、「それが簡単にできたら苦労せんわい!」と思うケースが大半ではないだろうか。地域おこしなどでも、「この地域にある資源を有効に使って、町おこしをしよう」みたいなことがよく言われるけれど、そんな妙案はすぐには出てこないのが普通である。

それまで仕事でプログラミングや語学を必要としていないのであれば、現時点でも必要ないし、これからも必要になることはないだろう。

なので、こういった「リスキリング」の最適な方法は、転職することだと思っている。僕は転職を2回しているが、そのたびに業種が変わっているので、必然的に新しいことを勉強しなければならなくなる。転職すると、「学ばない」という選択肢はありえない。仕事そのものの内容が変わるわけだから、勉強しないと何もできない。

かといって、以前の経験がまったく無駄になるかというとそういうわけではなく、もちろんこれまでの経験は生かすことができる。これまでの経験を買われて転職が成立するわけだから、それは当然である。

このことからも、「新しい仕事をする」と言っても、「それまでのキャリアとはかすりもしない仕事」という意味ではない。もし、それまで蕎麦屋だった人がプログラマーになるとしたら、新卒のプログラマーと同じ待遇で(しかも年齢のハンディキャップを背負いながら)仕事をすることになってしまう。

アメリカでは、「ジョブ制度」が浸透しているため、そもそもその能力が完全になければ転職することそのものができない。日本企業の場合、まだ少し柔軟性があるため、「新しい領域にチャレンジするための転職」が成立する、というわけだ。

2年前に転職して、半年ほど前に部署異動もしたので、勉強の連続である。しかし、新しい知識を身に着けることは業務なので、自分個人として何か新しいことを勉強しているかというと、別にそんなことはない。

最近なんの勉強をしているかというと、個人的な読書を除けば、将棋の勉強が中心である。将棋? 遊びじゃないか、という声が聞こえてくるが、まあそれはそうである。でも、将棋は一生楽しめる趣味だし、決して陳腐化しない。確かに遊びでしかないことは確かなのだが、一生かけて深めていき、人生を豊かにしてくれる。そのほかに、小説や作曲という趣味もあるが、これも同様である。

勉強して身に着けるスキルは、「賞味期限のあるスキル」だと思う。たとえばエンジニアは、常に新しいことを勉強しなければならない。大変そうだな、と外側から見ていると思う。

しかし、身の回りを振り返ってみても、昔は一般的に出回っていた製品でも、いまでは誰も使っていない、というものはよくある。新しい技術が出てくると、古い技術はもう使わない、通用しない、ということになりやすい。ということは、新しいものはそのうち陳腐化していく、ということである。

それが仕事であれば、そういうものだとして割り切るしかない。エンジニアではない僕が、やがて陳腐化していく技術を学んでもあまり意味がないが、現役のエンジニアであれば、次々に新しい技術を学び、形にしていくことそのものが仕事なのだろう。立場が違うのだ。

新しいことを学ぶ、新しいことに挑戦するときにひとつ考え方として有効なんじゃないかと思うのは、「いま、ここで何を得たのか」を明確にすることだと思う。「ここ」で何も得ていない場合、次でも何かを得られる可能性は低い。

学びなおしが必要で、一生かけて勉強していくことが必要なのはそうなのだが、せっかく今ここにいるのであれば、何かをここで得ることを目標にしたらいいのでは、と思う。それがひとつの考え方になるだろう。

ジョブズの言葉で「コネクティング・ザ・ドッツ」という言葉がある。だが、まずは点を作らないとはじまらないわけだ。「リスキリング」を考える前に、まず点をつくることにフォーカスするのがいいのでは、と思う。


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