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人間に心はあるのか?

ちょっと前までは考えられないことだというが、プロの将棋棋士は、今は将棋ソフトを使って「将棋の研究」をしているらしい。
 
「研究」というのはプロの棋士にとっては練習試合みたいなもので、通常はプロ棋士同士で集まって練習対局することなどを指すらしい(もちろん、本番の対局で勝つことだけが目的だから、いろんな形式がある)。
 
今でももちろん、プロの棋士同士で対局することが中心ではあるが、ある特定の局面を研究する時などは、将棋ソフトを活用することが増えているとのことだ。

近年、将棋AIは格段の進化を遂げており、今やプロの棋士を凌駕するまでの棋力になった。これまでははるか格下であった将棋ソフトを、プロの棋士が自分の実力を高めるための研究において活用する時代に突入したというわけだ。
 
AI、すなわち人工知能という言葉は、ここ数年で急に一般的になってきた。でも世の中のあらゆるサービスが人工知能を謳うようになったために、人工知能の言葉がかなり安売りされているように思う。
 
今のところ、将棋AIは確かに強いが、将棋AIは人間ではない。食事をするわけでもないし、お茶を飲みながら雑談することもないし、実は競馬が趣味だったりすることもない。ただ最善手を導き出すプログラムが組み込まれていて、対局情報を吸収しながら常に成長してるということだ。確かに高性能だが、見方によっては、電卓の延長線上、と言えなくもない。

SF作品などでアンドロイドが人間社会に入ってきている作品で、必ず問題視されるのが、「アンドロイドに心があるのか」と言う問題だ。

今の科学では「心とはなにか」という問題が解き明かされていないので、ヒトの作り出したアンドロイドも当然心がないものとされている。将棋AIもまた然りだ。

将棋AIをコテンパンにやっつけたからといって、気を遣って缶コーヒーを奢ったりする棋士はいないだろう。つまり、将棋AIに心がないと言うのは周知の事実であり、みんなが電卓に対するのと同じぐらいの態度で接していると言う事は間違いない。間違いなく、人間扱いはしていない。
 
僕はマクドナルドが好きなので、よくコーヒーを飲みながら読書をするためにマクドナルドの店舗を訪れる。

よく、というのは結構控えめな言い方で、実際にはほぼ毎日通っている。その時、必ずコーヒーに砂糖とフレッシュをいくつつけるか聞かれるのだが、僕は絶対にブラックで飲むので、受け取ったことがない。

おそらくそれを客に質問するのがマニュアルに組み込まれているので、毎回訊かれるのだろう。マクドナルドはアルバイトが多いので、人の入れ替わりも激しく、これだけ通ってるのによく知らない人が接客することもしばしばある。
 
しかし、もう来店回数が1000回に届こうとしている客に対して、いまだに僕がブラックでコーヒーを飲むということをこの店は認識していないのだ。

もちろんそういうサービスだし、コンセプトなので悪いわけではない。しかし、僕はこのマクドナルドに「心」を感じる事はないだろう。ある意味では僕の目から見れば、マクドナルドの店員は、人間よりもアンドロイドに近い。
 
一方で、駅前にあるコンビニはもともとは個人商店か何かだったのか、実に人情味ある接客を目にすることがある。

よく常連らしい目の見えない方が店に来店するのだが、店の入り口のところに杖を持って立っていると店員が駆け寄ってきて、今日は何が食べたいのかと言うのを質問する。そして、その人が食べたいと言った商品を、代わりに取りに行くのである。

もちろん商売でやってるわけだから、善意ではなく、単なるサービスにすぎないのだが、「その人が来たらそういう対応をする」というのが店の中で暗黙の了解みたいになっていて、そこに「心」を感じる。マクドナルドでの対応と違うのは明らかだろう。

ここで疑問に思うのは、「心とは一体なんだろう」ということだ。僕はマクドナルドでの接客に「心」を感じなかったが、コンビニでの対応には「心」を感じた。どちらも接客しているのは人間だ。

しかし、たとえ接客してくれたのがアンドロイドであったとしても、僕のことを認識してくれて、僕に合わせた接客をしてくれたとしたら、もしかしたら「心」を感じるかもしれない。
 
ある意味で、キャバクラやホストクラブはこれをマネタイズしていると言える。ホストやホステスは、客の会話を記憶して、客に合わせた接客をする。毎回初めて来たみたいな接客をされたらリピート客にはもちろんならない。

そうやって考えていくと、むしろそういった接客であれば人工知能の方が得意なんじゃないかとすら思う。何しろ、人工知能であれば、記憶力は無限大にあるからだ。
 
もし将棋AIに心があって、時にムキになったり、待ったを宣言したり、反則したりといったボケた行動をとったら人間味が出るかな。まぁそういうことを考えていくともはや将棋AIである必要性がなくなっていくんですが。
 
そうやって考えた先に、最大の問題がある。「そもそも、人間に心はあるのか?」という問題だ。

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