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頭のいい人は「知能レベルを下げる」ことができる?

頭がよくなりたい、と考えている人は多いと思う。本屋に行っても、「頭がよくなる」ことを謳っている本は多い。「論理的思考トレーニング」などのように、論理的な思考を身につけよう、といったタイプの本も多い。

しかし、なぜ人は頭がよくなろうとするのだろうか? そちらのほうが生きやすくなる、と考えるからだろうか。頭がいいことと、生きやすさは、本当にイコールなのだろうか?

実際のところは、頭がよくなることによるデメリットある。頭がいいと、先々の状況がシミュレーションできてしまうので、悲観的になる。悲観的になるので、足が止まり、手も止まる。つまり、行動に移しにくくなる、というデメリットがある。

頭の良さと行動力は負の相関関係があると思う。頭が良いほど、行動力がなくなる。頭が悪いと、行動がとりやすくなる。

それに、アニメや映画を見てもわかる通り、「頭がいいやつ」というのは主人公ではなく、参謀タイプが多い。あるいは、ライバルキャラみたいな。少なくとも、主役を張ることはできないだろう。

そういえば、「おとなしい」という言葉があるが、この言葉には「大人」という言葉が入っている。大人は子どもよりも頭がいいが、行動力がない、という点で、「おとなしい」のだろう。

しかし、頭がいい人も悲観する必要はなく、あえて知能レベルを下げることだってできる。状況に応じて、焦点を調整できるのが本当の知性といえるかもしれない。あえてこの領域については考えないようにする、と調整することは頭のいい人でも可能だ。

営業の仕事であれば、とにかく一日5件のアポを入れたほうがいい、ということであれば、ごちゃごちゃ考えずにやってしまったらいい。また、文章力を磨くのであれば毎日記事を投稿する、などでもいい。

効果があるかはわからないが、とにかくやってみる、無駄なことはとりあえず考えない、という姿勢は大事だ。これは、自分から知能レベルを下げにいっている、ともとれる。何かを考えるのは、行動してからでも遅くはないのだ。そして、ものを考えるには、実際に行動してみて、それを振り返るほうが効率がよく、的を射ていることが多い。

最近、将棋の羽生善治九段のインタビューを見て、面白いなと思ったことがある。将棋だけでなく、あらゆることに関心があり、もちろん知的水準が高いのだが、「人間が将棋を指す意味」だったり、「引退はいつするのか」といった問題は、あまり考えないようにしている、ということだった。

おそらく、そもそもそういったことを突き詰めて考えていくと、「将棋を指す意味などない」というところに到達してしまう、ということを懸念しているのではないか、と思う。しかし、ここを突き詰めて考えるのではなく、とにかく将棋を極めることを目標とする。その過程で、何かそれまでは見えなかったことが見えるようになる、そういったことを期待しているのかもしれない。

ものを突き詰めて考えていくと、あらゆることに意味はなくなる。人々の行動のほとんどにはあまり意味はないが、そうやって行動しているうちに、面白いものに出会ったりすることもある。

頭が良いが自分では動かない人間よりも、ごちゃごちゃ考える前にまず手を動かす、そっちのほうが人生は「面白い」と思う。そのように生きていきたい。

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