コーヒーは孤独な飲み物?
ネットで「なぜ紅茶の大規模チェーンは存在しないのか?」という話題を見かけた。
確かに、コーヒーチェーンは町に死ぬほどあるのに、紅茶をメインにしたチェーンってあんまりないな、と思った。調べてみると、スタバも紅茶を主体にしたチェーンを展開していたこともあったみたいだが、撤退しているらしい。
最近だとGongchaが出始めているけれど、ぱっと思いつくのはこれぐらいか(そもそもタピオカブームに乗ってきた印象で、真価が計られるのはこれからか)。台湾の企業だが、台湾資本のティースタンドは中国本土でもよく見るので、その勢いで日本に来日したのだろう。
軽く調べてみると、以下の要因が考えられるようだ。
1.そもそもあまり市場がない。コーヒーとお茶の市場でいうと、コーヒーが9で、残りの1を紅茶と緑茶が分け合っている状態。
2.コーヒー抽出機のように、大量に抽出できる機械がない。
3.紅茶は一般的にはあんまりドバドバ砂糖を入れたりしないので、中毒性が薄い。
4.外で数百円かけて飲むには割高に感じる。
なるほど、なかなか興味深い。1の市場の小ささというのは、単純に嗜好の問題なのか、それともこれだけチェーン展開に差があるのでそういった結果になっているのか、因果関係が不明。
2の抽出機がない、というのは確かにそうかもな、と思った。一方で、ペットボトル紅茶飲料などは存在するわけだから、大量に抽出する方法がないわけではないはず。抽出のブレがあるという話もあるが、それもペットボトル飲料があるのだから解決方法はありそう。ただ、飲食店で使えるようなサイズや価格の機材ではない、ということだろうか。
3は確かにそうだが、コーヒーもブラックで飲む人も多いわけで、そうでもないよな、と思った。だが、スタバのラテのように甘いコーヒーがあることを考えると、まあそうかもな、と。また、Gongchaは甘い紅茶が多いと思うので、その点では条件を満たしているともいえる。
4は確かに外であまり紅茶を飲むのが習慣づいてないので、そうかも、と。
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僕が思うのは、コーヒーは「目を覚まさせる効果」を期待して飲まれる割合が高いのではないか、ということだ。つまり、忙しく働く現代人にとっては、「とにかく苦くて目が覚める飲み物」という効果に期待しているのでは、ということだ。紅茶もカフェインは含まれているけれど、どちらかというとリラックスする目的で飲むことが多いように感じる。少なくとも目を覚まさせる目的だと若干弱いような印象がある。
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そう思うと、世の中でコーヒーは死ぬほど飲まれているが「ベストなコンディションで飲まれるコーヒー」って実はあまりないんじゃないかと思う。もっといえば、「おいしいコーヒーを飲みたい」と思っている人って、そんなにたくさんはいないんじゃないか、という気もする。
僕自身はコーヒーはちゃんと豆を冷凍しておいてミルで挽いて淹れているが、インスタントで十分だ、という人は多い。外出先のカフェでパソコン作業をしなければならない場合などは、コーヒー代は「席代」として払っている感覚で、席を立つときに冷え切ったコーヒーを喉に流し込むことも多い。その場合、まったく味を楽しんでいない。
したがって、「おいしいコーヒー」は結果として外で飲むことはあまりない。友人とカフェで話をするときなども、歓談しているうちにコーヒーは冷え切ってしまう。
忙しい現代人にとっては、「カフェイン」「糖分」こそが必要なのであって、リラックスするような紅茶は必要とされていないのでは……、というのがあまり言及されていない自分の仮説。
でも、たとえば中国やインドなど、お茶ばっかり飲んでいるような文化の国もあるので、単純に文化に依存するような感じもする。以前、仕事でよく行っていたバングラデシュでも、マサラティーみたいなのを街中で飲みながら歓談している人々をよく見かけた。
そう考えると、コーヒーは孤独な飲み物、紅茶は団欒の飲み物、という感じがしないだろうか。紅茶の市場がないというか、そういう「場」がないのが原因だったり。
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