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人は「分類」できるのか?

35年間生きてきたので、はじめて会った人でも「この人は以前に会ったことのある◯◯さんに似てるな」と思うことが増えてきた。他人を分類するためのサンプルが増えてきた、ということだろうか。

さすがに、どんな人であれ、以前に会ったことのない誰とも似ていない、というケースは少なくなってきた。

年をとってくると、この「分類」の精度はあがっていくのだろうか。若年者よりも、年長者のほうが「人を見る目がある」というが、その根拠はこの「カテゴライズ」の精度があがるからなのだろうか、という仮説を立てている。年とともに「この人は信頼できる」「信頼できない」の割り振りがより正確になっていくのかもしれない。

しかし、一目でカテゴライズはできても、それが外れるケースはもちろんある。特に仕事仲間においては、仕事をしはじめたばかりの頃の評価と、それなりに働いてみてからの評価が一致しないケース、というのはままある。

たとえば、自分がいま一緒に仕事をしているスタッフについても、最初に思っていた評価とだいぶちがった、というのがあった。

以前、noteに書いた上記の記事だが、じつは同一人物に対する評価である。

9月に書いた「コミュニケーション能力は鍛えられるのか?」では、新人の女性スタッフの教育をしていて、一向にコミュニケーション能力が上達しないので、このままだとちょっとこの先は厳しいかもな、という評価をしている。しかし、仕事が面白いらしく、10月に入ってから少しずつ能力が開花しはじめ、いまは伸び伸びと仕事をしている。この変化は自分でも想像していなかった。

9月の「コミュニケーション〜」の段階では、彼女はまだ研修中で、営業のロールプレイなどをやったりしていた。そのときは、トークスクリプトをそのまま読み上げるような感じで、人間的な感じがあまりしなかったのだが、実際に「実戦」をやりはじめてみると、結構うまくいっている。

クレームに発展することもなく、それなりにうまくコミュニケーションはとれているようだ。

歳をとると「人を見る目」がついてくるのかな、と思っていたのだが、まだまだ自分の分類というか、分析はたいしたことがないな、と思った次第である。あらためて、「第一印象は思った以上にあてにならない」ということを痛感させられる。

初めて見た人物を「勝手に分類してしまう」のは、むしろ能力というよりは、人間の本能的なものであり、実はあまり歓迎されることではないのかもしれない。

いずれにせよ、「人間を分類する」なんてそんなに簡単なことではない。もしかしたら、そんなことはできないのかもしれない。

最初から、「この人はこういう人だ」と決めつけないことが大切だ。

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