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毎日書いているわけではない

このnoteは毎日更新はしているのだが、 必ずしも毎日書いているわけではない。

先日、ついに連続更新記録も1000日を超えた。1000日連続更新を目指している人は時折見かけるものの、達成してみて、別に何かありがたいことがあったわけではない。書く能力が特別向上したとか、そういうこともあまり感じられない。1000日を超えている人のnoteだから読んでみよう、などと、急に読者が増えたりすることもない。あくまで自己満足の領域を出ないのである。

なぜ毎日書いていないのに、連続更新ができるのか。理由は簡単で、常に記事のストックがあるので、1日や2日書かないでも問題はないのだ。

常にそうであるわけではないが、だいたいデフォルトで、記事のストックは3本ぐらいだろうか。「困った時のストック」ではなく、常に3本ぐらいが後ろに控えているのである。つまり、今日書いた記事は3日後に投稿されるということになる。なので、ストックというよりは、「バッファ」に近い。

もちろん、書かない日が一日あると、その分のバッファが減ってしまうので、どこかの日では2本書くことになる。でも、書ける日はむしろ2本でも3本でも書けるので、それで問題はない。

毎日決まった時間に書いているわけではなく、書く時間はバラバラである。「書く内容」は、日常生活の中で突然やってくることが多い。書こうかな、と思って書くのではなく、突然書きたい内容が浮かんでくる感じだ。

たとえば、本を読んでいて何かに気づいたときとか、面白いことを思いついたときに、ふと書きたくなるのである。最近は、奥さんと会話しているときに何かを思いつく、ということも多い。

「なぜ書くのか?」というと、これは「ものを考えるため」だと断言できる。書くことは、思考の道具である。僕は別に誰かに何かを伝えたいという欲求がないので、自分のいまの気持ちや感情を誰かに伝えたい、という目的で書くことは少ない。

また、一般的に想像されるブログのように、具体的な自分の行動などを広く世間一般に知ってもらいたい、という欲望もない。書くのはもっぱら、何かを思いつき、それを書き留めて、さらに書きながら考えるためにある。

誰かに伝達するのはおまけのようなものだが、「思考を一般化する」過程で考えが整理されるので、結果的に誰が読んでもわかりやすいものに仕上げる。「これはさすがにそのままだと伝わらないかな」と思ったことはなるべく誰でもわかりやすいように、文章を工夫したりはする。一応、僕の文章は誰が読んでも理解できるような構成になっているはずだ。

書くことが思いつかない日は、本を読んだり、インターネットを巡ったりして、何か新しいことがないか、探したりする。そういう感じで、意外とバランスはとれているのである。

「書くのが続かない」という人は、「完全に自分のため」に書いてみるのはどうだろうか。そうすると、読者のことも気にならないし、あんがい楽しいものである。

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