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インプットとアウトプット、どちらが重要なのか?

永遠に語られるテーマとして、インプットとアウトプットの比率という問題がある。

本ばかり読んでいて自ら実行しないやつは全く意味がない、とにかく行動しろ、みたいなことがよく言われる。これはアウトプット重視派(行動派)に多い意見だ。しかし最近よく思うのが、人間が効率よくインプットできる期間が非常に限られているため、効率的にアウトプットできる期間にある程度の土台を作っておかないと、のちのち結構ひどい目に合うのではないか、ということだ。



アウトプットとは、要するに人と話したり、文章を書いたり、創作物を作ったりするような行為のことを指すと思う。今の世の中はインターネットがあり、SNSが発達しているので、アウトプットの手段に困ることはないだろう。文章や創作物ならばSNSを通じて公開できるし、実践型の趣味でも、SNSで情報収集したりマッチングしたりと方法は無限にある。

良質のアウトプットしている人はそれなりにたくさんの人に支持されるため、アウトプットこそが重要なんだ、と解釈している人は多い。

しかしよく考えてみてほしいのが、「老人」は基本的にアウトプットしかしない。最近の出来事、新しく出てきた概念については吸収が難しいため、それまでに培った自分の知識や経験をもとにアウトプットをしまくる。

田舎に行くとおじいちゃんおばあちゃんの長話に付き合うことがあると思うが、もうほんとにいつまで話してんだというぐらい、話が終わらない。いろんな情報が長年の経験により蓄積されているため、いくらでも話すことがあるのである(同じ話がループしていることも多いが……)。そして、多くの人が経験のあることだと思うが、それぐらいの年齢になってくるとこちらが何を話したとしても、全然耳に入っていない。

つまり人間は歳をとってくるとアウトプットのほうにほぼ重心が移り変わり、インプットというのはほとんどできなくなってしまうようだ。「本当に大事なのは良質のインプットなのではないか」と考えたのは、このような老人の状態を考えたからだ。子供は逆に、森羅万象を不思議がり、なんでなんでと聞きたがる。

もちろん自分のことを延々と話したがる子供もいるにはいるのだが、世界のことを理解したい、わからないことをもっと聞きたい、という欲求のほうが強いだろう。つまり子供はアウトプットよりもインプットのほうに重心があるとも言える。

20代、30代ぐらいの若者はどうだろうか。やはりこのぐらいの年代であればインプットに重点を置いたほうがいいような気がしているのである。どうせ歳をとればアウトプットのほうに全振りするのだから、新しいことを脳みそが吸収できるうちに吸収しておいた方が良いのだ。

ただ以前にも書いたことがあるのだが、インプットと言うのは必ずしも外部からの刺激に留まらない。こうして自分で書いた文章を何度も何度も読み返し、修正を重ねる上で新しい気づきに達することもある。

なので僕が今書いてるような文章は、アウトプットもインプットも兼ねていると言える。日々文章を書くからこそ、良質なインプットにつながっていると見方もできる。あくまでも目的はインプットにあると言うことを強調しておきたい。

ビジネスなどで新しい試みを試験的にはじめることもそれに近いだろう。アウトプットする行為ではあるが、試験的にはじめることで、多くのことを実践・吸収することができる。しかし、これもあくまでもインプットを前提としてアウトプットといえるだろう。

もしもアウトプットとインプットの比率で迷っている人がいるとしたら、「基本的にはインプット」と考えたほうが良いのではないだろうか。

老人になれば延々と自分の話をし続けることからもわかるとおり、アウトプットというのは別に高尚なものでも難しいものでも何でもない。小さい子どもが自由に絵が描けるのと同様、もともと自然にできるものなのだ。

良質なインプットがたくさんできる時期は限られている。できるうちに、いろいろなものが吸収しておくのがいいはずだ。

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