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なぜ若者よりもおっさんのほうが情報収集能力が高いのか?

仕事でいろんなおっさんと接する機会がある。いろんなおっさんと接していると、不思議に思うことがある。世の中には、恐ろしく情報収集能力に長けたおっさんがいて、その卓抜した情報収集能力にしばしば舌を巻く。

一方で、情報収集能力が卓抜している「若者」に出会う機会はあまりないので、なぜなのだろうか、と疑問に思っていたのだ。

単に、僕の周りにいる人間がそうであるだけなのだろうか? いや、何か理由があるに違いない。
 
普通に考えると、若者のほうが「新しいもの」に敏感で、流行をキャッチしているように思える。しかし、若者は「新しいものに敏感」というよりは、自分の中に蓄積している情報が少ないので、新しい商品や概念に「順応」しやすいだけなのでは、と思うようになった。

つまり、「空っぽ」というか、「何もない」から、染み込みやすいだけなのだ。若者は、あらゆるものを「使いこなす」までのスピードが速いが、本質が理解できているとは限らない、というだけのことだ。
 
起業家志望の若者に会ったりすることがある。仕事でも、たまにベンチャーの若者と会うこともある。もちろん、彼らは自分のビジネスプランを持っているのだけれど、競合他社の情報をそこまで「深く」調べきれていなかったり、理解しきれていなかったりする。自分たちの展開している商品が、どういう点で市場優位性があるのか、説得力をもって示せないことがあるのだ。

それをレビューする側のおっさんが、「(競合の)こういうサービスとの違いってどういうのがあるの?」とけっこう基本的な質問をしても、そもそもそういう類似のサービスについて知らなかったりすることすらある。

なぜこういうことが起きるのだろうか、と常々疑問に思っていた。


 
僕の仮説はこうだ。

おっさんは、これまで生きてきた中で、いろんな経験を重ねているので、新しいものがでてきても、過去の類似の商品やサービスと比較することができる。新しいものが出てきても、表面的な謳い文句やセールス部分に惑わされず、核心にフォーカスすることができる。

核心部分を見極めたうえで、何も斬新性がないと、「新しさがない」と判断することができるのだろう。

一方で、若者はそれまでの情報の蓄積がないので、いいものが出てくると、それを無条件に受け入れてしまい、過去のものと比較してどのように優れているのか、分析をすることができない。

おっさんのほうが、注目すべき本質のポイントがわかっているから、数多あるサービスの中から「違い」に着目することができ、膨大な情報を蓄積することができるのだろう。ニュースなどを見ていても、詳しい分野のニュースはその「すごさ」を説明することができるが、専門性のない分野のニュースは、どの点が珍しいのか瞬時に把握することが難しいが、それは蓄積がないからだ、というのと似ている。


 
ただ、そうやって新しいものを情報だけで判断できるのがおっさんの優位性だけれど、それを簡単に「これはダメだ」と切り捨てるようになると、成長がストップするはずだ。

先行きが見えても、例外的なことが起こるのが世の中というもの。どんなに世の中のことがわかっていたとしても、「わかったような気にならない」というのが、姿勢として重要だろう。

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