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できれば世界の全てが知りたいと思った

インターネットで活動していると、世の中にはいろんな職業の人がいるんだな、と痛感する。なかでも、ライターとして働いてる人は、僕自身が「書くこと」に対して大きな関心があるので、興味深く見ている。ウェブライターとして文章書いている人もいれば、ウェブで漫画を描いている人もいる。ウェブメディアの編集者というのもいるらしい。
 
noteでは、ライターや編集者として歩んできた人の半生が語られていたりする。書くことが好きで、今も書くことを続けている人もいれば、もともとそういったものに憧れていたけれども今はやっていない、という人もいる。どちらにしても、なんだか自分とは違う世界のお話のようで、こんな世界もあるんだなぁ、と異国を眺めるような目線で読むことが多い。

僕は文章を書くことが好きで、できればそれで生計を立てたいと思っていた。でも、文章が書ければ何でもいいというわけではなくて、自分の中にあるイメージやストーリーを描く、ということがやりたかった。

つまり、自分が書きたいものだけを書きたかった。たぶん、それが「書きものを人に届ける」ことを専業とするライターや、編集者を目指さなかった理由だろう。
 
編集プロダクションやウェブメディアのライターを目指すという選択肢は最初からなくて、なりたいのはただひとつ、小説家だった。どちらかというと、綿密に取材を重ねた丁寧な書き物というよりは、自分のイメージと発想力で世界の度肝を抜いてやろう、そういうことを夢想していたように思う。これは、もちろん本当に若いときの話だけれど。

僕は学生の頃、小説の公募に作品を出したりはしていたものの、プロの小説家になることはできなかったので、ふつうに就職をすることにした。就く業種はなんでもよかった。

なんでもよかったというポリシーに反することなく、節操なくいろんな会社を受けに行った。商社もあれば不動産もあったし、メーカーも受けた。正直なところ、会社なんてどこに入っても大して変わらないだろうと思った。あまり興味がないからこそ、なんでもよかったと言えるかもしれない。

「なにができるか」とかそういう指標ではなく、「すぐに潰れなさそうなところはどこか」という目線で会社をえらんだ。
 
「書く」以外に好きなものといえば、本が好きだったから、本屋に就職するという選択肢もあった。実際に、チャンスがあったので、ある有名な本屋と、出版社にインターンで働いたことがある。どちらでも、それなりに筋が良いと褒められて、うれしかったことを記憶している。でも、自分がそこで働くのは何か違うかなと思った。
 
ものを書く人はやはり本好きが多いだろうから、ものを書きながら出版社に勤めたり本屋に勤めたりするのは割と一般的な選択肢のはずだ。ものを書く以上は、他人と同じ選択をしていては、オリジナリティのあるものが書けないと思った。他人が書けないものが書けるようになるために、なるべくいまの自分が興味がないことに対して積極的になろうと思った。
 
その選択をしてきた結果が今の自分なわけだが、確かに、学生時代には全然考えられないような仕事をしている。ものを書くという点においても一切関連性がない。もともと憧れなんかも全くない仕事だから、割とたんたんと、でも少しでも楽しくなるように自分で調整しながら仕事をしてきたように思う。

簡単に言うと、自分はものが書きたいのだから、できれば世界の全てが知りたいと思った。本が好きだから本屋に就職するのではない。好きだったら本ぐらい読んで当たり前だ。ただの「本好き」ではできないような経験をして、行ったことのないものを見たほうがいいような気がしたのだ。その意味では今の環境は割といいのかもしれないけれど。
 
人生に「たら」「れば」はないなと思う。就職する時点で違う会社に就職していたり、あるいはフリーランスで活動することを選択していたとしたら、今とあっち全く違う人生を歩んでるのかもしれないけれど、それはもはや自分ではない気がする。どちらがいいかなんて、比べようもないし、比べる必要もない。
 
でも、インターネットでそういう人を見ていると、そっちに行っていたらどうなったんだろうなぁと言うことを夢想してしまう。人生とはままならないもんです。歩んできた道しかなかったんだ、と無理やり納得させるしかない。でも、それでいいような気がする。

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