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「困難は分割せよ」だけではなかなかうまくいかない理由

ルネ・デカルトの有名な言葉で、「困難は分割せよ」というものがある。途方もなく大きな問題であったとしても、細かく問題を一つ一つ割っていけば、いずれは着手可能なものになっていくという意味だ。これを座右の銘というか、ある種の仕事術として捉えている人は多いように思う。

僕も普段仕事などで、とらえどころがないほどスケールの大きい仕事に取り掛かるときは、マインドマップなどを使って細かい要素に分解していったりする。確かにこうやると、仕事は進めやすくなる。

しかしこれには大きな欠点があって、困難を分割していくと、量が途方もなく多くなってしまい、かえって全体像が見えにくくなり、圧倒的な物量に打ちのめされてしまう、ということがある。また、分解しただけで疲れてしまい、実際の着手はどこからすればいいのかわからず途方に暮れる、ということもある。

また、困難でも何でもないような問題、例えば日々の筋トレや、日記を書くといったルーティンワークに対しては、手順がわかりきっているのであまり意味がない。有力な方法ではあれど、万能ではない、といったところだろうか。

最近自分はもっとシンプルに、「とにかく取り掛かる」ことを自分に課している。困難を分割するのも良いが、とにかく最初の一歩が肝心。どんなことでも、とりあえず手を動かしてみないとわからないことも多い。

何より、最初の着手が一番腰が重いのだから、まずそこを乗り越えようというわけだ。これはかなり万能で、どんなスケールの問題にも対応できる。これから宇宙に行くロケットを設計しなければならないにしても、最初の一歩は「パソコンの電源を入れる」ことだろう。

特に、日々こなさなければならない筋トレなどのルーティンワークに対してこの効果は絶大だ。僕は最近自宅で自重トレーニングをほぼ毎日やっているのだが、「筋トレしなきゃ」と考えている時間が一番無駄なので、とにかくやるべき時間になったらヨガマットをリビングに敷く。そしてワークに取り掛かる。

日によっては、やる気が出てくる頃にはやるべきことが終わっていたりする。これがベストだと思う。

スポーツ選手やボディビルダーは自分よりはるかに難易度が高く、高負荷なトレーニングをしていると思うが、基本的な原理は自分と同じはず、と思うとちょっと安心する。実際のところ、どんな偉大な人たちであったとしても、自分のできる範囲のことを積み重ねていったに過ぎないのだ。

一分間で人間ができることは、どんなに優れた人であっても、そこまで大きくは変わらないだろう。問題は、それをどう組み合わせ、どう積み重ねていくかだ。

何年か前にスカイツリーに登った。意外と東京に住んでいても、こういった観光地みたいなところは行かないものだ。

スカイツリーも、誰かが作ろうと思って作ったんだよな、ということを考える。実際にスカイツリーを建設するには莫大なお金がかかるし、高度な設計が必要で、土地の確保や行政との調整など、気が遠くなるほどの難事業だろう。

誰かはわからないのだが、誰かが最初にスカイツリーを作ろうと考えて行動し始めたことになる。結果、スカイツリーは完成し、誰もがそれを眺めたり登ったりすることができる。考えてみたらとんでもないことだと思う。

途方もない難事業に思えるが、最初の一歩を踏み出すことは自分だってできるかもしれない。それをどう積み重ね、組み合わせるかによって、実現できるかどうかが決まってくるが、最初の一歩は誰だって踏み出せる。

壮大な計画を立ててその途方もなさに圧倒されているよりも、とにかく手を動かせば、実現に近づくと思えるのではないだろうか。個人の「やるべきこと」なんて、そんな大事業に比べたら、一瞬で終わるほど簡単なものである。

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