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クリぼっち最高(夏)

あまり、人の話題についていく、ということを考えたことがない。

つまり、流行に乗り遅れてはならない、と思ったことがない。なるべく流行にはむしろ乗らないようにしているが、別にこだわりがあって拒否しているわけではなく、ブームが過ぎ去った後に勝手に一人で楽しんだりする。

例えば僕はテレビドラマを一切見ないが、半沢直樹ブームがおさまって数年後に原作小説を読んだらたいへん面白かったので、ドラマ版を見てみた。非常に面白かった。ありがとうございます。今は、「逃げ恥」が面白いと大変評判なので今から見てやろうかと思ってるぐらいだ。

「流行の話題に乗る」というのには関心がないが、良質な作品は見たいと思っているので、自然とこういう行動になる。ブームの最中は値段が張ることも多いので、そういった意味でもブームが去ったあとに楽しむのはコスパもいい。
 
僕自身はそれでいいと思ってるし、これまでもそれで全く問題がなかった。しかし、集団の心理を考えたときに、基本的に話題についていこうとする人々が大多数だというのを知っておくことは大切だと思っている。

いわゆるブームというのは、「流行ってるから乗っかろう」あるいは「乗っからなくてはならない」と感じている人が多数を占めるからこそ起きるのであって、僕のような価値観の人間が大半を占める世の中では、ブームなどを起きない。

ブームが大衆を導いた結果、ひとつの時代や文化を作ると思うので、それはそれで、ないと面白くない。

たとえば、「クリぼっち」と言う言葉がある。「クリスマスにひとりぼっち」の意味だそうだ。

最近なんかやたらと注目されているこの概念だが、クリスマスに恋人がいないので、ぼっちだ、鬱だと嘆く人がいるらしい。

だけどこれは基本的に一般大衆がクリスマスを恋人や家族と過ごすということが前提とされていて、大衆がそうやって過ごしたいと頑張るからこそ、独り身のぼっち感が際立つという構造になっている。

僕も当然ながらクリぼっち勢ではあるが、むしろクリぼっちということ自体が結構楽しい。クリぼっちなりにクリスマスを満喫してるという感じがある。「一人だ」「鬱だ」とツイッターに投稿したりするのも楽しい。

例えば1人でホールケーキを食べてみたりしたら、寂寥感が際立ってよりクリスマスを満喫できるだろう。太るからやらんけど。
 
クリぼっちで鬱だ、リア充爆発しろと叫ぶ人々によって、逆にクリスマスムードが盛り上がっているとも言える。考えてみたら、クリスマスソングって恋人がこないとかなんとか、クリぼっちの歌詞が多い気がする。

全員が達観して、クリスマスなんてそれぞれがそれぞれのやり方で楽しめばいいじゃないかなどと言い出したら、クリスマス感が半減し、盛り上がりに欠けるだろう。それはなんか面白くない。

話がどんどんそれていってるが、ブームというのはひとつのコミュニケーションでもある。みんなタピオカが本当に好きだったとはとても思えないが、みんなでタピオカを飲みに行くこと自体が楽しいし、タピオカなんてもうオワコンだよなー、と言うこと自体も楽しい。

結局みんな本当に取りたいのはコミュニケーションの方でやって、ブーム自体は何でもいいのだ。もしかしたら、本当は嫌々ブームに乗っている人もいるのかも。

村上春樹のノルウェイの森は1000万部売れたらしいですが、どのぐらいの人が最後まで読んだのでしょうか?

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