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人生に意味はありますか?

「(自分の)人生に意味はあるのだろうか?」という定番の問いがある。深いようで、幼稚なようにも感じる問いである。誰しもこれまで一度は考えたことがあるのではないだろうか。

僕はこの問いは中学2年生ぐらいによく抱きがちな問いなのではないかと思っている。小学生のうちは、よくも悪くも目の前のことしか考えられない。小学生にとって一年というのは天文学的な長さなので、うまくイメージができないのだ。

中学生ぐらいになると、一年以上先、みたいな抽象的なことが少しずつ考えられるようになるので、そこではじめて、自分の人生を俯瞰するようになる。このまま大きくなっていって、自分の人生にはどういう意味があるんだろうか、などと考えるようになるわけだ。

中学2年ぐらいというのは小学校を卒業して環境が変わり、それが落ち着いてくる時期でもある。同時に、世間が自分に対しての風当たりを強めてくる時期で、それまでは親や教師の庇護の下で生きていくことが当たり前だったのに、急に「お前は将来何がしたいんだ」とか、「さぼるな、もっとがんばれ」などと言われるようになる。

さて、人生に意味はあるのだろうか。大人になるとあまりこういうことを考えることはないのだが、改めてちょっと考えてみたい。

僕はこれには2種類あると思っている。つまり、もともと人生に意味がある人と、意味がない人である。

「もともと意味がある人」はシンプルで、「生まれることそのもの」に何らかの価値がある人のことだ。例えば、大企業の一人息子とか、皇族に生まれるとか、とにかくこの世に生まれてくること自体に価値がある人の事だ。

確かにこの場合は「人生に意味がある」ともとれるが、本人がそれを望んでいるかどうかとなると、人それぞれだろう。少なくとも、生まれた段階では本人は全く望んでいないどころか、思ってもいないはずだ。

2つ目は「もともと人生に意味がない人」だ。大多数の人はこちらに分類されるのではないかと思う。もちろん僕もそうである。この人たちは生まれた時点では、特に何の社会的な影響力もない。要するにいてもいなくても社会は成り立っているので、社会的には別にいなくても良い、ということになる。

例外は家族で、あなたを望んでこの世に誕生させたはずだ。なので、生まれた直後の意味は「家族のため」ということになる。

しかし、生きていく過程で、人生の意味は必要に応じて、順次発生していくものだと思う。

例えば大学生になってコンビニでバイトを始めたとする。夕方から深夜までのシフトを担当することになった。その時間帯は、コンビニの店舗運営を回すという意味が生まれる。

自分にとってそれが重要かどうかはさておき、少なくとも店長や同僚、客にとってはあなたの存在には意味がある。その人がいないとコンビニがうまく回らないからだ。

このように、何らかの役割が与えられること、それが人生における意味なのかなと思う。なので普通に働いている社会人はあまりこういったことで悩まない。仕事があるということは会社から必要とされているということで、その会社が社会から必要とされている限り、あなたの存在には意味があるからだ。

なので、会社をやめたり、あるいはそもそも就職が決まらなかったりすると、俺の人生ってどういう意味があるのかな、と悩むことになる。

シンプルに、大多数の人にとって、人生にもともと意味なんてないということを自覚するところから始まるような気がする。生きていく過程で、意味は勝手に発生していくものだし、自分にとって有用な意味は勝ち取るとも言えるし、見つけ出すとも言える。

要するに、あまり深く考えても仕方のない問いということだ。多くの人にとって意味があるように、しっかり生きる、ということでしかない。

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