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「論理的すぎる資料」は何が悪いのか?
論理的にプレゼン資料を作ったら、「論理的すぎる」「コンサルが作った資料みたい」とこき下ろされた、という記事を読んだ。
これ、けっこう会社で働いていたら「あるある」なのではないだろうか。自分も何回か言われたことがある気がする。やや違った表現として、「緊張感がない」と評されたこともある。少しこれについて考えてみたい。
結局、実際に事業を行っている会社にとって、「ビジネス」というのは、「どういう博打をするか?」ということなのだと思う。100%儲かるビジネスはないので、ビジネスというのは多かれ少なかれ、博打をしなければならない。
もちろん、どれだけリスクがあって、どれだけリターンがあるのか、をちゃんと知らないと、博打にすらならないので、論理的に、キチンと調べる必要がある。しかし、最終的にそれを実行する段階では、博打になる。
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事業で一番大事なのは「期待値」だ。投資する金額と、成功率をかけて、リターンの金額を見積もる。これが元金以上なら儲かるし、それ以下なら損をする、ということになる。
パチンコや競馬など、巷に出回っている一般的なギャンブルというのは、トータルでみると必ず胴元が儲かるようにできているので、期待値は常に1を下回る。だから、冷静に期待値ベースで考えると、損をするのだからやる価値はない、ということになる。
ましてや、日常的に通い詰めれば、より確実に「負ける」のだから、ギャンブルはレジャー以上の意味はないのでは、と思っている。
もちろん、プレゼンの中身によっては、業務改善のように「博打をしない」ものもあるが、それは経営判断を必要としないので、「どうぞ勝手にやってください」ということになる。
それはもう、部署レベルの中で完結する話なので、そもそもプレゼンなど必要ない、ということになる。
コンサルタントは博打をしない。他人のふんどしで商売するのが仕事だからだ。もちろん、戦略コンサルなどのように、博打についてプレゼンをするコンサルもいるが、実際に博打をするのは事業会社だ。
そういう意味で、「論理的すぎる」という指摘は、「お前は博打をする覚悟があるのか」ということを問うているのだろう。サラリーマンは自分の金で博打をするわけではないが、会社の金で博打をするだけであって、博打であることに変わりはない。
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「こうすれば絶対に成功する」というのはほぼ確実に存在しない。もし、論理的に考えることによってそれが導き出せるのだとしたら、誰かがそれに気付いて、すでに大儲けしているだろう。
自分もつくづく感じるのが、世界というのは実にバランスよく、均衡がとれているな、ということ。とりあえず、いろんな問題はあるにしても、とりあえず世の中というのは現状でうまく回っているのだから、そこからなにか商売の種を見つけ出す、というのは用意なことではないのだ。
いろんなタイプの経営者を見てきたが、最終的には「覚悟」や「気合い」の類が必要、というのは間違いない。宗教やオカルト的と言われようとも、それが事実なのだから仕方がない。
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