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クリスマスという「奇祭」について

世界にはいろんなお祭りがある。僕自身はあまり積極的にお祭りには参加しないのだが、文化的に重要なのは理解できる。というより、祭りというのは文化そのものなので、人々がどういう意図でその祭りを運営して、参加しているのかはなかなか興味深い。

だが、祭りというのは土着のものが多く、地域社会の中で行われることがほとんどである。しかし、なかには世界規模のお祭りもある。そのうちで最たるものは、なんといっても「クリスマス」だろう。

クリスマスについて知らない人はいないと思うが、その成り立ちや本質について理解している人は少ない。興味があったので、クリスマスについて書かれた本を読んでみた。

クリスマスが世俗的なお祭りだ、というのは実はみんなが理解していることだ。クリスマス否定派(?)の中には、「そもそもキリスト教徒も、そこまで熱心にクリスマスに信仰を見出していない」というようなコメントをしたりするものだが、それも一般的な認識になりつつある。

「宗教的な役割」でいうと、キリスト教的にはクリスマスの重要性はじつは薄い。キリスト教の中で最も重要なのは、「キリストの復活」であり、そこに信仰を見出すような構造になっているため、イエスが人の子としてこの世に「誕生」したことは、実はそこまで重要視されていない。

そもそも、イエスが生まれたのがいつなのかは全くわからない。生誕日に関する記述が一切残っていないためだ。そのため、12月25日に生まれたというのは全く根拠がない、というのも最近では有名になりつつある。イエスが生まれた日に東方から三賢者が来た、というような伝説もあるが、もちろんこれは後付けだろう。

今では信じられないことだが、キリスト教教会がもっと政治に結びついていた中世においては、そもそも「クリスマス」を異端とみなし、弾圧していた時期もあったようだ。しかし、奴隷労働が一般化していた中世においては、奴隷たちはクリスマス休暇をめぐって暴動を起こしたりしていたため、為政者にとっては悩みの種だったのだとか。

つまりクリスマスとは、民衆が勝ち得た「祝祭の権利」のようなものだった、という歴史的な経緯がある。教会が広めたプロパガンダではなく、むしろ民衆自身が求めていた、ということだ。

前述のように、キリスト教として重要なのはなんといっても「復活祭」で、キリストがこの世に救世主として復活したという事実自体が宗教的に大きな意味を持つのだが、それを祝うというのはあまりにもキリスト教の色が強すぎて、他の文化の国々に浸透しない、という事情もあるのだろう。

復活祭を日本人が積極的に祝うという場面はあまり見られない。そういう意味ではクリスマスというのはそもそも目的があいまいで、世俗的であり、それゆえにいろんな文化で浸透した、という経緯はあるかもしれない。

実際に、日本ではクリスマスプレゼントを交換したり、とクリスマスのフォーマットを踏襲してはいるが、神に祈りを捧げたりする人は少ないだろう。そもそも日本ではキリスト教徒は少数派だからだ(最近は、興味本位でクリスマスのミサに参加する人も増えているようだが)。

日本ではかなり特殊なクリスマスが過ごされているようだ、というのは世界でも認知されている。たとえば、クリスマスに恋愛要素を加えるのは日本独自のアレンジである。家族と一緒に過ごすというのが欧米のクリスマスの過ごし方であって、そこに恋愛の要素を持ち込むのはあまり見られないようだ。

あと意外なのが、「クリスマスケーキ」にあの丸いケーキを食べる事も、日本独自のアレンジらしい。たとえばドイツでは、「シュトーレン」というお菓子を食べることなどが知られている。

日本においてはクリスマスケーキの製造は夏ぐらいから行われ、業務用の冷凍倉庫の中にどんどん搬入されていき、クリスマスの日を待って解凍されるのだが、食品メーカーがやっている壮大なキャンペーンのようなものだと見ることもできる。

なんとなく、クリスマスのホールケーキは鏡餅のようなものを連想させるので、これも日本流のアレンジなのかもしれない。あと当然ながらクリスマスにケンタッキーフライドチキンを食べるというのは日本でしか見られない現象である。

しかし、そういったアレンジ自体は別に恥ずべきことではない。外国のクリスマスだって、民衆のやりたいように、自由に発展してきたのだから、日本のクリスマスが間違ってるとは全く言えない。

そもそも「正しいクリスマス」なんてものはないのだ。その自由度の高さが、世界のあらゆる文化にフィットした要因だともいえる。最近では、宗教を禁じている中国や、サウジアラビアなどのイスラム文化圏にまで浸透しつつあり、そちらの為政者の悩みのタネとなっているようだ。

また、サンタクロースがコカコーラの宣伝をしたのがかつては有名だったが、まともな宗教行事でそんなことがまかり通るはずもないことは、少し考えればわかることだろう。

基本的に楽しいイベントだから、というのが浸透した大きな理由だろう。楽しいイベントだから、いろんな商売がそれによって誕生し、それがさらに楽しさを増幅したというのあるのかもしれない。

ちなみに、クリスマスをひとりごっちで過ごすこと、いわゆる「クリぼっち」は、日本のみならず、欧米でも「みじめなこと」として認識されているようだ。向こうの場合は、恋人ではなく「一緒に過ごす家族がいない」ということになるので、より切実な感じがしているが。

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