賞味期限と三十五

そういえば、今年の夏に33歳になった。

30歳になってからというもの、時の流れが異常に早くなっている。20代から30歳になったときは、「まあ、いつかはくるものだし、そんなもんか」と思っただけだったけれど、31歳になったときは驚いた。「もう31になったの?」と。

そして、予想通り、32歳は一瞬でやってきて、光の速さで33歳の誕生日が過ぎ去っていった。こんな調子だから、34なんてのはもう明日みたいなもんだし、35はもう来ている、といっても過言ではないだろう。
 
人生の区切りはだいたい何歳ぐらいなのかな、ということをたまに考える。30歳は一応区切りのような気がするけれど、ただ単に10進法における区切りにすぎず、それほど大きな意味はないような気がする。

一方で、35歳というのは、仕事人生における明確な区切りなのかもしれない。企業の採用ページをみると、「中途採用は35歳まで」というのをたまに見かけるからだ。
 
転職は35歳までにやるべし、というのがまことしやかに言われる。これは、結構怖い。まるで、自分の「賞味期限」が35歳であるかのように思えてくるからだ。年を重ねれば重ねるほど、自分の価値というのは落ちていくものなのだろうか。
 
普通に考えれば、そんなことはない。自分は33歳で、社会人になって10年ほどだけれど、それなりにいろんな経験を積んでいるので、新卒の社会人と比較すれば、仕事はできるはずだ。

個々の職業知識や経験についてもそうだけれど、「社会人としての振る舞い」とか、「仕事の段取り」といった面で、どの業種の仕事でも共通して使えるものが、培われている面が大きい。なのに、なんで転職が容易なのは35歳までなのか、ということを考えたりもする。

要するに、「まっさらの未経験なら、35歳ぐらいまでがいちばん教えやすい」ということなのかな、と思った。

たとえば40歳で、未経験の仕事を20代の若者と一緒になってやるのはけっこう大変だ。教える側も、まったくの素人相手なら、年齢が低いほうが教えやすいし、何より、安い給料でも我慢として働いてもらいやすい、ということもある。

年をとってくると、相手にもそれなりのプライドがあるし、要求してくる金額も大きいからだ。
 
そう考えていくと、「安く、いろんなことを教えて、やってもらえる年齢」が35歳がひとつの区切りの目安なのかな、というような感じもする。

35歳を過ぎると社会人として価値がなくなる、ということではもちろんなくて、「35歳までにある程度、基本的なことは身につけておいてくださいね」、ということなのだろう。35歳からは実力勝負の世界、ともいえる。

上にいける人は上に行くことができるし、実力がない人は、チャンスが得られにくくなる。

仕事を探す上で、「若さ」というのはある種の特権だから、年をとるのはけっこう怖いこと。でも、年を重ねることでできることも増えるわけだし、そんなに怖がる必要は、本当はないのかもしれない。

とにかく、35歳までの約二年間、どういうことを蓄積したらいいのか、なにをしたらいいのかを考えて、日々を生きていきたいと思います。

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